なんとかシップ

広辞苑を調べていたら、【スポーツマンシップ:正々堂々と公明に争う、スポーツマンにふさわしい態度】という記載を見つけた。「・・・シップ」を、「・・・にふさわしい態度」とは、とても分かりやすい表現だ。フレンドシップ、メンバーシップ、チャンピオンシップ、リーダーシップ、そして「オーナーシップ」とは、まさに「オーナー(所有者)にふさわしい態度」のこと。義務や強制ではないが、自発的に行われるほど賞賛や尊敬に値する美徳に属する価値観だ。したがって、「スポーツマンシップに反する行為」と言われるものを思い浮かべてみると、審判の目を盗んで反則をするとか、試合の相手を侮辱するとか、どれもルール違反ではないがモラルや礼儀に反することを意味している。

「土地の放置や放棄」という問題は、まさに「オーナーシップに反する行為」だと僕は思う。土地の放置は認められているし、放棄は制度上できないはずなので、実態として放置や放棄が行われても、問題化することはない。昨年取り締まりが始まった空き家問題にしても、問題化したのは空き家が周辺社会に及ぼす「迷惑」であり、一部の悪質な空き家を「特定空き家」に認定して取り締まったに過ぎない。これに対し「空き家の有効活用」という対策も各地で活発化してきたが、これも「空き家が利用されていないこと」に対する対症療法的な取り組みに過ぎない。こんなことをしている間にも、土地の放置や放棄は増え続けており、空き家問題はその氷山の一角に過ぎない。

土地オーナーに与えられる所有権とは、「利用・収益・処分」の3権と言われるが、これらの権利を行使しない所有者が増えている。後継者がいないので使えなくなったとか、入居者がいないので収入が無くなったとか、買い手が見つからないので売ることができないとか、理由は様々あるだろう。だが、「土地オーナーたる者はそんなことは言い訳にならない」のがオーナーシップだと僕は思う。しかし、多くの土地所有者にはオーナーシップという自覚がない。だから、せっかくの所有権を行使できなくても簡単にあきらめる。そして周囲の人たちも、そんな所有者を他人事として放置している。つまり、所有者以外の人たちもまたオーナーシップを分っていない。

「なんとかシップ」とは、当事者だけでなく周囲の人たちもすべてが持つべき心がけだ。フェアなプレイを心掛けるプレイヤーだけでなく、それを見守る観客も一緒にフェアプレイを重んじなければスポーツマンシップは成立しない。それはリーダーシップやフレンドシップも同じことで、当事者ひとりで実現できることではない。僕は以前、シンガポールの道路には路上駐車が一台もいないのを見て愕然としたことがある。いくら取り締まりが厳しくても、1台も違反者がいないなんて僕には理解できなかった。だが、「シンガポール政府が路上駐車の無駄や危険を繰り返し国民に説明するうちに、国民がそれに賛同するようになった」という友人の説明を聞いて感激した。シンガポールでは、こうした「シンガポールシップ」的な話がたくさんある。小さな国だから、豊かな国だからとか、いろいろ言う人がいるけれど、僕は「誰もがその気になること」こそが世界を変える正攻法だと確信した。

「名栗の森オーナーシップクラブ」は、まさに「土地所有者らしさとは何か」を考えるプロジェクトだ。現在9組のメンバーが参加しているが、参加の動機も、目的も、仕事も趣味も見事にバラバラだ。唯一の共通点は、「名栗の森に関わりたい」という期待と好奇心の合わさったような感覚だ。でもこれこそが、「オーナーシップの芽」に僕は思える。今日の例会は、参加するはずだったやる気満々の林業者がドタキャンで来なくなり、どうなることかと気を揉んだが、顔をそろえたメンバーたちはそんなことは笑い飛ばし、現地で出会ったハンターを捕まえて、シカ狩り談議に盛り上がった。山林は決して林業だけのためにある訳ではない。そこには変化に富んだ自然があり、歩いて楽しい地形があり、クラフト心を誘う材料があり、美味しい空気や香りがあり、鳥や獣が潜んでいる。躯体的な利活用はまだ何も実現していないが、放置や放棄という問題とは、完全に無縁の森がすでに実現している。

土地の放置や放棄という問題は、その利活用の実現ではなく、オーナーシップの確立によって初めて解決すると僕は思う。「どうなることが解決か」という議論をせず、「やらないよりはましな対策」をいくら講じても、永久に解決しない。今やるべきことはその正反対だ。どうせやるなら、「永久に解決すること」に僕は挑みたい。

「大きな土地」で国づくり

先日、NHKの特報首都圏「本気で社会を変えたい~“ソーシャルイノベーター”たちの闘い~」を見て、心に着火する音が聞こえました。やはり僕の活動は、そろそろ表に出て社会を巻き込んでいく段階に、進むべきだと思い立ちました。今日はさっそくFacebookで勝手に宣言し、まずは身近なキーパーソンに連絡をして導火線に火をつけました。まずは、僕の目指す「ソーシャルイノベーション」について、簡単な説明を試みたいと思います。もちろんそれは、土地資源の活用に関する革新です。あまり長文にならないよう頑張りますので、お付き合いください。

いま日本では、行政主導の社会改革が行き詰まり、民間主導への移行が急務です。ところが、新たな事業を生み出すのに不可欠な「制約のない自由なチャレンジができる場所」がほとんどありません。そもそも公有地は、私的な生活や事業の場ではありませんし、民有地の多くは誰かに占有され、使われていなくても入ることすらできません。そしてもし、使えたとしても高い場所代を支払った上に制約だらけで、自由なチャレンジなどできません。これが僕の問題提起です。儲かるビジネスだけが高い家賃を払って一等地に店を構え、さらに大きな利益を上げていく一方で、利益の少ないビジネスはいつまでも物陰の小さな部屋でひっそりとやっていくなんて、僕には納得できません。なぜなら、今場所は、そこらじゅうで有り余っているのだから。

そこで、「大きな土地」の所有者に呼び掛けて、自由なチャレンジに対し、余った場所を開放したいと思います。そして、個人のビジネスの創出や生活の再建、社会参加の促進など、行政が担うことのできない「民有地でのくにづくり」に挑むのが、僕の提唱するイノベーションです。考えてみると、江戸時代までは諸国の大名が与えられた領地から得られる資源だけで国を作り、経営していました。すべての地域に中核都市を拠点とした自立経済があり、ほとんどの藩は助成金をもらうどころか、逆に多くの資金や役務を上納していたわけです。現在都道府県庁所在地となっているような地方都市の豊かな個性は、その地域で調達できる資源を使って独自の発展を遂げたからに他なりません。正確には領主が領土を所有していたわけではないにしろ、自由な裁量で土地という資源をフルに活用していたのは間違いありません。地域再生など、官主導でいくらやってもらちが明かないのは、そもそも土地所有者主導で行うべきことなのかもしれません。

やがて列強諸国の侵略に対抗する富国強兵の実現のため、明治維新を経て、日本は一元統治をおこなうようになりました。しかし、民有地の所有は民主化の名のもとに細分化が進み、個人所有者の裁量に任され、自由に売買されるようになりました。これが、経済成長の原動力となったことに疑いの余地はありません。しかし、成長が鈍化し土地価格の上昇が終わったところで、土地所有者たちはこれを持て余すようになりました。振り返ってみれば近代以降「国づくりは政府の仕事」よなり、誰も「民間による国づくり」を考えも学んでも来ませんでした。現在の日本には、土地所有者の権利や義務について定める法律はなく、土地所有者を管轄する官庁も存在しません。民有地所有者が、「所有権を放棄(売却)せずに行使する術」を知らないのは無理のないことかも知れません。

僕は、起業支援活動の中で田名夢子氏と出会い、このことに気付きました。「自分の土地をどうしようと自分の自由のはずなのに、そのやり方について相談に乗ってくれる人がどこにもいない」というのです。そこで田名氏は、これを起業と位置付け、僕のもとを訪れました。笑恵館という事業の核心は、永続的な事業にするために、法人に所有権を移転し、所有者が不死身になるということです。そのために、二人で日本土地資源協会という一般社団法人を設立し、現在笑恵館の所有権をこの団体に実質無償で貸与しています。つまり、僕も団体メンバーとして所有当事者になったわけです。現在笑恵館の運営は、この協会が中心となり、有志のメンバーが相談しながら決めています。笑恵館という小さな国を、小さな政府が治め始めているんです。

この経験から現在二つの事業を展開しています。一つは笑恵館周辺エリアでの住み開きの推進。住宅の空き部屋を住みながら開放して、所有者だからできる新たな活用法を模索しています。そしてもう一つは、名栗の森オーナーシップクラブ。オーナーシップクラブとは「会員制の土地所有」のことで、これまで放置されてきた個人所有の山林を、クラブのメンバーになることで所有者として利用できる仕組みです。これらはいずれも、メンバーが所有者の裁量を付与されることで、自由な土地利用を実現する試みです。こうした活動を通じて、僕の提唱するイノベーションの実現に向け、確かな手ごたえを感じています。

そこでいよいよ、この提案をわかりやすくまとめて、「大きな土地」の所有者に届ける段階を迎えました。しかし、こうして書いた文章を読み直してみると、まだまだ分かりにくく、前途は多難です。きっと、これを打開するにはもう自問自答はやめ、様々な人たちに実際に問いかけ、意見を聞くことだと思います。そう、今日はこの結論を書きたくて、手探りで説明を試みました。せっかく「大きな土地」を持っているのに、それを生かしきれずにいるなんて悔しいことだと思います。土地は「国づくりの資源」です。ご自分の土地を使って、何かをやってみたい方。何かを実現するために、「大きな土地」のオーナーを口説きに行きたい方。「大きな土地」に特段の定義はありませんが、もったいないと思えば、それが「大きな土地」だと思います。

皆さんからのご意見お待ちしています。

そして、こちらからもアクセスしますので、その際はどうぞよろしく!

「住み開き」の考察

(笑恵館クラブ・設立総会)

先日、住宅専門誌「ハウジング・トリビューン」の取材を受け、2回にわたって「住み開き」に関する考察を執筆した。確かに建築不動産ビジネス的に言えば、「住み開き」自体は収益性の低い「社会貢献的慈善事業」の意味合いが強い。しかし、住宅の供給過剰が極限に達し、住宅の除去や減築が進まない限り深刻な空き家の増加が見込まれる現代において、先進国中でも特に建設・不動産業の比重の高い日本経済が住宅ストックの新たな活用法を見出すことは、業界の死活問題を超えた重要課題だ。実際に「住み開き」に取り組む中で、それ自体よりもそこから創出される新たなサービスへの期待が高まりつつある現状を、レポートしたい。

「住み開き」とは、「空き家対策」にとって代わる、僕にとって期待の言葉だ。日本土地資源協会のwebサイトには「空き家を生まない社会を目指して」と表記しているが、実際我々は「空き家」を取り扱う気はあまりない。笑恵館から始まった一連の取り組みにおいて、一貫しているのは「所有者本人」と関わり、所有者が住まいを活用して自分の思いを実現することを支援している。だから、笑恵館では「近所の人が気軽に立ち寄る家にしたい」

という願いを叶えるために、大きなウッドデッキを作り、庭からアプローチして土足で上がれるようにしつらえるだけでなく、小さなパン屋さんを誘致した。近所の人を招きたいというオーナーと、顧客を集めたいというパン屋の協力関係が実現したのは、「住まいをビジネスに開く」という新しいカタチだ。住まいとしてしか使われてこなかった住宅が、店舗に限らず多用途にも門戸を開くようになれば、開業時の負担の小さな起業・創業の機会を提供できる。

「住み開き」とは、住まいを誰にでも開放するのではなく、自由に出入りする顔見知りを増やしていく取り組みだ。どういう基準で新たな仲間を募り、受け入れていくかは、所有者の考え方次第。当初笑恵館では「多世代型シェアハウス」に関心のある人たちに呼びかけ、その実現を目指しながら賛同者を増やしていった。でもやがて、限定的なテーマに縛られず多様な人たちが集まること自体が楽しくなる。笑恵館では、その喜びを分かち合い、家族の一員として施設を自由に使える人たちを会員にして、「笑恵館クラブ」を設立した。やがて近所にお住いのメンバーOさんが、自分の住まいを開きたいと相談を持ち掛けてきた。暖簾分けした訳ではないが、笑恵館から一つの株が独立し、新たなスタイルの「住み開き=おおがいさんち」が始まった。そして今度はおおがいさんちに触発され、Sさんが名乗りを上げた。8月6日(土)には、そのお披露目納涼会を開催する。興味のある方は、ぜひお越しいただきたい。http://land-resource.org/sakuma

「住み開き」とは、住まいを開くという行為を通じて、所有者が心を開く取り組みだ。おおがいさんちの常連Tさんは、数年前にご主人を亡くされたのをきっかけにすっかり体調を崩してしまい、自宅を離れ、小さなアパートで暮らしていた。近所で暮らす娘のNさんが母上を気遣って、自宅の活用を模索する中、先日僕のところに相談にやってきた。「自宅を開くのは、母上の心を開き、お元気になっていただくため」との思いで僕とNさんは意気投合し、昨晩ついに、母娘そろってお目にかかった。「是非とも母上の思いを込めた施設名を考えてきてください」と言う僕の出した宿題に対し、照れくさそうに「ふくふくの家」と答えてくれたTさんは、お茶目な娘のような顔をして笑っていた。これから僕を含む3人で「ふくふくクラブ」を立ち上げて、ゆっくりメンバーを増やしていき、Tさんの思いを「ふくふくの家」という形にして、次世代に引き継いで行けたらいい。

最後に余談だが、最近おおがいさんちでは、独立して別居している三男との同居の計画が進んでいるそうだ。これまで居心地の良い2階を占領していた親夫婦が、自分たちに2階を譲り年寄りは一階で暮らせばいい・・・と主張していた三男と、急に折り合いがついたというのだ。どうやら、住み開きをした1階のサロンが活気づき、1階で楽しむ時間が増えたため、Oさん夫婦の2階へのこだわりが無くなり、三男もそんな様子を見て、同居の不安が薄れてきたようだ。「住み開き」によって地域での役割を担うようになることが、親子所帯の同居を促進するとしたら、これほど喜ばしいことはない。

我々が忌み嫌う「空き家問題」とは、捨てられる家のことではなく、そこで暮らす生活者が断絶し、地域社会が空洞化することだ。次世代が地域の暮らしを引き継いでくれるのなら、たとえ空き家が増えても、それらをうまく使えばいいだけのこと。地域内生活者の孤立や孤独を解消し、そこに賛同して参加してくれる人たちが、その地域の承継者になってくれることこそが、「住み開き」の目的だ。あえて言う、手あたり次第「住み開き」を促進し、そこから派生する様々な事件から、新たなコミュニティとビジネスを生み出していきたい。

大きなお家 相談会

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「大きなお家・困りごと相談会」というチラシを新たに作り、笑恵館周辺の「大きなお家」にポスティングする準備を始めました。これまで、土地資源活用に関する相談者を募るために「空き家資源キーパーズ」や、「みんなのビル・プロジェクト」などのプロジェクトを立ち上げてチャレンジしたので、これが3度目の正直ということになります。結局これまでの2つのチャレンジは、継続しないという意味では明らかに失敗でした。でも、空き家キーパーズが無ければ、みんなのビルは思いつかなかっただろうし、さらに失敗を繰り返さなければ「大きなお家」にはたどり着かなかったでしょう。そんな意味で、今ここで過去のチャレンジを振り返り、「大きなお家」という新事業構築の手がかりにしたいと思います。

「空き家資源キーパーズ」は、昨年春の「空き家対策特措法の施行」を受け、僕たちの活動に当時の空き家ブームを活用できないか・・・と考えたのが発端でした。当初、日本土地資源協会の公益化を目論んで、内閣府に壮大なプランを提出したものの、実現に向けた体制づくりの非現実性に気づき、撤退(取り下げ)を余儀なくされたころでした。そこで一機に公益化を目指すのでなく、まずは一般のビジネスとして成立させようと考え、「あえて」空き家活用業界に参入してみることにしました。しかし実際にポスティングをしてみると、当然空き家はもぬけの殻で、当事者が住んでいなければ成すすべもありません。我々が問題視しているのは、放置されている空き家そのものではなく、放置せざるを得なくなった所有者の方だと気付かされました。

年が明け、スタートした「みんなのビル」は、相談相手もなく孤立する土地所有者に対し、遊休部分の活用を提案するプロジェクトです。土地活用事業の創出を試みるため、あえて住居を対象とせず、「ビル」という表現を試みました。また、漫然とポスティングするのでなく、可能性のあるビルオーナーに直接提案しながら、並行してWEB拡散を試みました。これに対し、業界新聞など、いくつかのメディアから問い合わせをいただき、取材を受けました。不動産デベロッパーが主催する顧客セミナーでの講演なども打診されました。しかし、具体的な参考事例もない「概念的なプロジェクト」の域を脱却できず、メディア掲載もセミナーも実現しませんでした。

しかし、2つのチャレンジが空振りだったわけではありません。ポスティングや個別勧誘による当方が目論んだ形での「相談者」は現れませんでしたが、意外な反響や想定外の「まぐれ当たり」の相談者は何人も現れました。集客は失敗でしたが、告知は成功したわけです。「自宅に隣接する空き家を活用できないか」という相談が、紆余曲折を経て自宅開放する「おおがいさんち」に育ったり、「みんなのビル」のノウハウで、自分たちに場所を提供してくれる「オーナー探しを手伝ってほしい」という団体が現れて、空き家オーナーとのマッチングが実現し「お産の家」が生まれたり、こちらの想定していなかったニーズが舞い込んで、実現していきました。

新たなプロジェクトは、さらなる展開のきっかけともなります。「笑恵館」では、ようやく空室になった1階住居に、今度こそ高齢入居者を迎えるべく、「高齢者限定入居者募集」を開始しましたし、「おおがいさんち」には、一人暮らしの住まいの相談が来始めています。「お産の家」メンバーとは、住宅を活用した新たな事業例としての「助産院」に関するシンポジウムを開催することができました。こうした状況を背景に、またしても新規事業モデルの確立に挑みたいという機運が、高まってきました。

そこで、次のチャレンジは「大きなお家」です。せっかくの土地資源を持て余して困っている所有者に届けるために、「大きな」という言葉を選びました。「大きなお家」は、豊かなこと、大勢なこと、賑やかなことの象徴です。収入が減ったり、家族が減ったり、利用者が減るという課題に対し、あきらめて売却せず、人任せの賃貸をせず、自分の希望に沿った解決策を一緒に考え実行する「所有者のパートナー」を目指したいと思います。

「一番のお困りごとは・・・相談相手がいないことではありませんか?」ということで、
・相談会は無料・個別予約制にて、随時開催中
・090-9830-3669 担当:松村まで

こんなチラシを作成し、懲りずにチャレンジしたいと思います。

LRキーパーズクラブ

  • 土地や建物を「利用者として」でなく、「所有者と一緒に使っていこう」という人たちのサロンです。
  • せっかく場所があるのに使わせてもらえないだろうか ・・・とぼやている皆さんの参加をお待ちしています。

目次

  • LRキーパーとは
  • LRキーパーズクラブ
  • 活動内容
  • 参加方法

LRキーパーとは

山林の荒廃、耕作地の放棄、空き家問題など、土地を保有するだけで活用せず、放置された状態が今増え続けています。【キーパー】とは、文字通り「守る人」のこと。土地を資源として活用するため、保全することで荒廃を防ぎ、整備することで安全や衛星を確保し、さらに利用の促進を行います。

 

LRキーパーズクラブ

「利用者側」からでなく、「所有者側」から土地利用を考えるのが、このクラブの目的です。

多くの土地所有者の本当の願いは土地を「売ること」ではなく「永続的に活用すること」なのに、国も社会もそして利用者も、このことを忘れていると思います。
私たちは、土地を利用することや、土地を使ってビジネスをすることを、土地所有者に直接提案し協力して行うべきと考えます。
会場の笑恵館は、まさにオーナーと当協会が共同経営する「事例」です。

空き家とか空き室とか、せっかく場所があるのに使わせてもらえないだろうか
・・・とぼやている皆さんの参加をお待ちしています。

活動内容

定例会 毎月開催

継続開催し、少しずつ輪を広げていきたいと思います。

  • 日時:毎月第1木曜日の夜 19-21時
  • 場所:笑恵館 東京都世田谷区砧6-27-19
  • 参加費:当面の間無料
  • 主催:日本土地資源協会 担当:松村拓也

参加方法

お問い合わせは何なりと、担当の松村までお寄せください。
メール  post@land-resouece.org
携帯  090-9830-3669

 

【対象】  ・土地資源の経営について学びたい所有者

  •   ・土地資源の事業計画と運営を担う専任管理者
  •   ・土地資源に関する当協会の業務や支援に従事する人
  •   ・土地資源の地用・整備・保全に関心のある全ての人

【教科】  A所有:土地の過去・現在・未来・・・永続的な保全について

  •   B管理:土地の内・外・位置・・・場所に応じた整備について
  •   C運営:契約・規約・マナー・・・公・共・私的な利用について

【講座】  1教科につき、5コマの講座を履修する

  •   講義:2時間の講義を3コマ
  •   体験:半日の視察や体験を1コマ
  •   実習:1件の業務書類作成(面談指導5回まで)

【クラス】  併用可能な2つのクラス(体験・実習は共通)

  •   平日クラス:第1~3火曜日の夕方1講義ずつ
  •   集中クラス:第3日曜日に3講義を集中

【コース】履修コースに応じて、修了者に業務資格や認定登録

  •   LRリーダー:該当分野の資料作成や支援業務をあっせん
  •   LRマネージャー:土地資源の管理者として認定登録※
  •   LRマスター:上記に加え当講座の講師として認定登録※

【修了・認定】

  •   コース修了者(全講座受講+考査合格)に修了証を発行
  •   修了者の内公開審査会にて実習内容を発表した者を認定
  •   認定管理者として登録し情報を公開する。
  •   日本土地資源協会の正会員は全講座を履修(費用は免除)

LRオーナーズクラブ

  • 土地資源を活用したいオーナー同士が情報交換するための交流サロンです。
  • 土地や建物を売却せず、世代を超えて引き継いでもらうにはどうしたらいいのか・・・とぼやている皆さんの参加をお待ちしています。

20140616

目次

  • LRオーナーとは
  • LRオーナーズクラブ
  • 活動内容
  • 参加方法

LRオーナーとは

LRオーナーズクラブ

活動内容

参加方法

世帯数問題

(グラフはSHO-KEI-KAN展Ⅲより引用)

「世帯数問題」とはググっても何もヒットしない、ある意味で僕の造語だ。日本の人口は1985年に1億2千万人を超えたのちに頭打ちとなり、2008年12月をピークに減少し始めたが、世帯数はその間も増加を続けていた。たとえ人口が増えなくても、世帯数が増えれば経済需要は増加する。人口減少は経済を縮小させるというかつての議論はどこへやら、成長を前提とした経済運営が今日現在もまかり通っている。しかしついに、2015年から世帯数の減少が始まった。今度こそ、間違いなく縮小型社会への移行を余儀なくされると僕は思う(数値データは、「人口・世帯数の動向(http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/torikumi/jyuseikatsu/hyodaikyukeikaku/kyusankoshiryo.pdf)」というページを参照されたい)。僕が「空き家が社会に及ぼす迷惑」でなく、「空き家発生のメカニズム自体」を問題視しているのは、空き家がまさに、この世帯数問題の産物であり、これから始まる「社会縮小」という現象のホンの一面にすぎないからだ。

世帯数と社会の関係をもう少し細かくイメージしてみよう。世帯とは「実際に同一の住居で起居し、生計を同じくする者の集団」と言われるとおり、社会的・経済的な生活単位のこと。同一の住居に暮らすということは、同一の台所を使い、同一の浴室を使い、同一のトイレを使うこと。したがって、これらの設備は、少なくとも世帯数分必要となり、そこで使われる冷蔵庫や洗濯機などの家電製品や生活用具、自動車なども、世帯数に応じて必要になる。日本では、5年に一度国勢調査を行っているが、その対象は「日本に居住している全ての人及び世帯」とされ、世帯が社会生活の単位であることをよく表しており、空き家の数もこのデータを利用して「供給住戸数-世帯数」で算出している。多人数世帯の分裂によって増加し続けた少人数世帯が無ければ、建売住宅やマンションなど「不動産の細分化」による住宅供給を買い支えることはできなかっただろう。

さて、これらすべての商品需要が世帯数とともに減少すると、一体どうなるのだろう。すべての商品は供給過剰となり、生産を減らすか外国に販路を求めるか、または新たな需要を掘り起こし、新製品を開発することになるだろう。そして売れ残り以上に、不要品となり大量のごみが発生する。ごみの処分は生産や販売よりも難しく、その多くが放置され部屋を埋めていく。空き家の多くが活用できずにいるのは、部屋が不要品で埋め尽くされ使える状態でないからだ。それは亡くなった家族の遺留品だけでなく、独立していった子供たちの思い出も少なくない。世帯数とは、こうした遺留品や思い出という置き土産を残したままで増殖を続けてきたため、ひとたび減少を始めると今使っているものと合わせて2倍のごみが出る。そして、先ほどの新規需要の減少と合わせれば、成長に対する3倍の足かせになるように思える。

深刻な問題のはずなのに、「世帯数問題」が語られることがまだ少ないのは、これまでの成長型経済では対処できない問題だからだと僕は思う。だがそれは、成長型経済の欠陥ではなく宿命であり、今必要なのは成長型経済を否定するのでなく、その欠点を補完する仕組みを付加することだ。あえて言うならば、「グローバルな成長型経済」の対極に位置する「ローカルな持続型経済」だ。世帯数の減少に対し、これまでと逆の発想を持って対処しても、それを成長経済に反映し、グローバルな一般解を得ようとするから無理がある。そもそも世帯数の増加プロセスは、成長型経済システム上で起きた現象だ。世帯数の増加は、成長型経済がもたらしたと言ってもいい。統計を見ても、富裕国ほど少人数世帯数が多く、貧困国においては多人数世帯が多い(http://www.stat.go.jp/data/sekai/zuhyou/02.xls#’2-9′!A1)。おそらく理由は簡単で、お金がなければ一人暮らしはできないから、逆に言えば、多人数で暮らすのは貧しくて相互扶助を必要としているからだ。

だとしたら、世帯数の減少とは何なのか。それは人口の減少に伴う現象というよりは、成長経済の限界だと僕は考える。豊かになった人々が消費の欲求を失い、次の豊かさを求め始めたとしたら・・・経済は成長せずとも継続さえすれば十分で、むしろお金でで買えない新たな価値を求め始めたのではないかと僕は考えたい。「お金の価値」とは「モノやサービスを購入できること=他人に何かをやってもらう価値」だとしたら、「お金で買えない価値」とは「モノやサービスを購入しないこと=自分で何とかする価値」だと考える。例えばシェアハウスやグループホームといった概念が、世帯数の減少を招いている。そこには、共に暮らすことにより「互いが無償で与え合う=シェア」という金銭に頼らない持続の仕組みが存在する。これを無理やり対価型のビジネスにすると、その魅力が消えうせる。対価型でない、自らも汗をかく面白さこそが、新たな価値なのかもしれない。

このように従来と真逆の発想で、僕はこの問題に取り組みたい。1世帯=1住戸という発想だから、世帯数の減少が問題化するのであって、1世帯=複数戸であればむしろ生活はより豊かになるはずだ。これまでなら「3戸使えば賃料も3戸分」だったのを、「3戸使っても賃料はゼロ、その代わり一緒に畑を耕して、みんなで稼ごう」みたいにすればいい。世帯数の減少により余ってくる資源を、みんなでうまく活用すれば、小さくても持続可能な経済が生まれるはず。かつて世界がグローバル化するまでは、誰もがそうしてきたはずだ。だからこれは、決して目新しいことではない。昔のやり方を思い出し、最新技術とうまく使い分ければいいだけのことだと僕は思う。

世帯数の減少は、成長のない暗い世界の始まりではない。お金の力で自立という名の孤立を深め、自宅に居ながらにして世界とつながっている錯覚に陥った人たちが、もう一度外に出て、近所の人々や身近な世界と実際につながろうとする、むしろ大きな前進だと僕は思う。だがそれは、地域ごとどころか世帯ごとにも異なる答えを探さなければならず、世界の人々が一つの正解を目指すことで発展してきた成長型経済や既存の社会システムは、当てにできそうにない。我々一人一人の個人が、身近な世界を自分で作るという「頭の切り替え」が必要だ。「途上国の国民は貧しいが明るい、一方で先進国の国民は豊かだが暗い」という話を聞くが、この「豊か」という言葉はかなり怪しい。「金持ち=豊か」という先入観を捨て、自分の豊かさを模索するのに、モノ余り・土地余りの時代は絶好の好機だと僕は思う。ここはひとつ、「問題解決を先送りして目先の金もうけ」に走るのでなく、「金もうけを先送りにして目先の問題解決」に取り組んでみないか?

不動産 vs 無限源

相続税が支払えずに土地を物納したり、相続人がいないため国が土地を引き取ると、道路や公共用地として使用できるものだけ利用して、残りはすべて売却される。国が欲しいのは、必要な公有地とお金だけ。残りは民有地として、民間に競売(払い下げ)となる。当然のことだが、「民有地をどのようにしていくのか」に対し、国は何もする手を出せない。なぜならこの国は、民が主役の民主国家であり、民有地とは、その主役のための自由な土地のこと。民有地をどうしていくのか、この国をどんな国にしていくのかは、日本政府でなく僕たち自身が考えることであり、それを税金で雇った人たちが担当し、選挙で選んだ人たちがチェック指導しているわけだ。しかし、こうした土地は、建売住宅やゴミ捨て場に姿を変えていき、外国人たちも狙っている。僕が「個人所有者のための土地活用支援」を行うのは、この悪循環を断ち切るためだ。

使われていない土地を活用したいという相談を受けると、初めにやることは「その土地がどういう状態でどんな使い方ができるのか」という土地の現状を確認することだ。ところが、「相続したものの、まだ現地を見たことがない」という人に資料を要求すると、「名寄せ」と呼ばれる一覧表を持ち出して「手持ちの資料はこれだけなんです」という。そこに書いてあるのは、土地の「地名地番(所在地)、面積、地目(用途)」だけで、これは土地の登記簿に記載されている内容の概要だ。今、多くの土地が「財産=登記できる不動産」として相続され、その内容も所在すらも忘れられつつある。そして、次の相続の時は、このリストがそのまま次世代に継承され、そのうちの一部が相続税として「適当に」国に取られていく。きっと数世代の後には、こうした土地はすべて手放すことになるだろう。僕はこれを「資産」と呼ぶ。

そこで次に、名寄せを元に現地を訪れ、土地の現状の周辺の様子を確認する。宅地や農地は比較的簡単に特定できるが、山林などは困難を極める。公図と呼ばれる登記の基となる地図は、税逃れのために小さくゆがみ、方位や縮尺もでたらめだ。道路や川に接していればまだしも、そうでなければ当事者に確認するしか術はない。おそらく民有山林のかなりの部分が既に所在不明なのではないかと思われる。一方、宅地などきちんとした土地だからと言って楽観できない。土地には様々は付帯設備やインフラが整備されているが、それらをトータルに把握している所有者はめったにいない。土地や建物を、利活用しようとすると、多くの図面や契約関係を整理し、それらを永久に運営する仕組みを作らなければならないはずなのに、現状誰もそれをやろうとしないのは、たとえほんの一部でも、世界の所有者だという自覚がないからだ。

松村さんの話はいつも大げさだ…と思われるかもしれないが、目指すべきことはこういうことだ。笑恵館では、すべての空間をリスト化し、その開放レベルを分類し、全体の活用度を計測している。土地は永遠に消えることのない不動の財産という意味で「不動産」という称号が与えられているが、資源としてみれば、永遠に利用し続けることのできる無限の資源という意味で「無限源」とでも言いたいところだ。所有者の皆さんには、目先の活用で一喜一憂せず、100年、500年、10000年後を見据えた夢を描いたその上で、広くチャレンジャーたちを募り、小さくても新しい世界を作る取り組みに、ご招待したいと僕は思う。

所有権の質

先日、六日町の老朽旅館を見に行ったついでに、十日町に立ち寄った。建築家青木淳氏の十日町「分室」が「ブンシツ」というプロジェクトになったことは以前ご紹介したが、今般その第1期が「分じろう」として竣工したというので、早速現地に行ってみた。まだ開店準備中だったが、これから「ブンシツ」のメンバーがここで暴れるのかと想像するうちに、僕も「SHO-KEI-KAN展」に挑む勇気がわいてきた。笑恵館の立ち上げ時に、成瀬康子さんが提案してくれたこの名称には、あえて「SHO-KEI-KAN」と名乗ることで、「笑恵館」そのものでなくそこから生まれる「新たな概念」を伝えたいという思いが込められている。たかが名前にすぎないが、されど名前は重要だ。昆虫が変態しながら成長するのと同じく、「笑恵館」という青虫が「SHO-KEI-KAN」というさなぎとなり、そこからどんな蝶をふ化させるのか・・・僕はこの展示に、そんな重大な使命を課している。

実は、十日町を訪ねた5月1日時点で、まだ展示内容は白紙のままだった。第1回目は笑恵館の開業までの経緯を、第2回目は笑恵館の1年間の実績を紹介し、今回は笑恵館に続く次の展開を紹介する予定だったのだが、そのプロジェクトが成年後見という言わば「資源の塩漬け」的な状態に陥り、「新たな資源活用」の断念を4月に決断をしたばかりだった。しかしこの挫折は、さなぎにとってどんな意味を持つのかと、僕は「分じろう」を見て頭を切り替えた。そして思い至った結論は、「所有権の重要性」という問題だった。そもそも成年後見とは「その意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する」ための制度だ。だから、資産の保全どころか、所有権の積極的行使など夢にもおぼつかず、適正価格での賃貸や売却が関の山だ。

しかしこれは、致し方のないことだと僕も思う。たまたま家族が後見人となったため、歯がゆい思いをすることとなったが、もしも後見人となった赤の他人が「良かれと思って土地を活かそうと思いました」などと勝手なことを始めたら、それは由々しき問題だ。つまり、僕が求める「所有権」とはあくまで本人が行使する「万能の所有権」であって、これを白紙委任することはあってはならない。これを部分的に委任するのが後見制度であり、それに対応できるのは従来型の限定的な不動産事業である・・・まさにこれが「現状」だ。しかし僕が挑むのは、この現状から脱却すること。したがって、現状の枠組みの中で運用される「成年後見」が適用された資源については、その継承者が「万能の所有権」を行使できるようになるまで待たなければならないと判断した。

結局「成年後見」という壁に行き当たることが、「所有権の質」の問題を考えるきっかけとなったわけだ。そして、僕が求めていたものは「所有権の万能性」なのではないかという疑問に到達し、SHO-KEI-KAN展Ⅲでは、この課題について問題を提起する展示を試みた。僕はよく、「笑恵館で何をするかを決めるのは、安倍総理大事でなく田名夢子さんだ」と、笑恵館を訪れる人に説明する。自分の家をどうするのかは自分で決めるしかないけれど、それを負担と思わず相談してほしい。所有権という権利は、いくらでも人と分かち合える権利だから。現にこの地球は、すべての命にとって「自分の星」なのだから。

空き家の定義は大丈夫か?

新潟から戻った2日から今日までの7日間、僕はSHO-KEI-KAN展Ⅲと格闘していた。SHO-KEI-KAN展は、笑恵館の開業を記念して一昨年の5月に開催したのをきっかけに、毎年この時期に笑恵館で1週間の展示イベントとして続けている。今回の展示は2回目と同様10枚のパネルにまとめ、同内容の冊子も作成して今後の説明資料に活用する。はじめの2日で全体の構成が決まり、残りの2日で中身をまとめ、6日の夜には印刷までこぎつけた。そして案の定、なんか全体的に解りにくい。内容が難しいのは仕方ないが、説明がまずいとすれば、それは自分がよく解っていないせいかもしれない。たとえどんなに難しくても、誰にも理解されなくても、自分の理解が進むなら書くことに意味がある。そんなわけで、この週末は地獄のような2日となった。自分の書こうとしたことは何だったのか、自問自答が始まった。

全体を見返すと、さらに驚くべきことが判明した。今回は、土地資源、社会、所有者の3つについて5つの切り口で説明し、必ずそれを写真で表現することに挑んだのだが、なんと同じ写真が2か所にあるではないか。ジグソーパズルの最後の1ピースが違っていたら、どこかに違うピースが無理やり入っているはずだ。僕の場合は、違うことを書くべきなのに同じことを繰り返し書いていた。違う切り口で書くはずなのに同じということは、その切り口の違いを理解できていないということか。迷宮でさまよう僕の他に、パズルを解きたくて疼いている僕がそこにいた。そんな中で僕が見つけた問題は、空き家の定義そのものだった。

空き家は確かに近所迷惑で、空き家の増加は由々しき問題だ。しかし僕のやりたいことは、「空き家の近所迷惑をなくすこと」では決してない。以前ブログにも書いたが、「空き家のない社会を目指して」というキャッチーな言葉に惹かれて、「空き家」という言葉を利用してはいるが、僕が取り組みたいのは「所有」という概念の復権だ。でも「空き家」という言葉はすでに歩き始めており、僕に来る相談の多くはすでに「空き家の・・・」になっている。そこで、ひとまず冊子は再構成し、初稿ということで決着させ、僕はちょっと脱線気味だがこの文章を書き始めた。そんなわけで今週は、メルマガどころでは無かったし、こんなメルマガの回があってもいいかと思う。

もう少し「空き家」について説明したい。今回の展示では、細かい出展は記さないが数値データはすべて入手しグラフは自分で作成したが、そこで見つけた算出式は、なんと「空き家数=住宅供給戸数-世帯数」というものだった。住宅の戸数は国税庁の課税データから、世帯数は国勢調査データから算出したものだから、「1世帯が1戸の住宅に住んでいる場合の余りの数」ということになる。例えば僕は、カミさんの実家に扶養家族でない次男と一緒に同居している。国勢調査の「持ち家」とか「同居」の記載を反映しているのなら構わないが、これはあてにならないとすれば、空き家の数はさらに増えることになる。間違っても「全国の空き家を数えた」のでは無いのだから、この数字は疑われて当然だと思う。

なぜこんなことに目くじらを立てるのかというと、ドイツには空き家を捕捉する統計があるからだ。ドイツでは、空き家を住宅ストックと考え、年代別、面積別、地域別に供給戸数と空き家数を把握している。この数値をもとに、新規着工件数も総量規制が行われ、空き家=在庫住宅として管理されている。今回の展示で、日本、イギリス、ドイツの空き家数を比較するが、その計算方法は国によってまちまちで、その目的も異なる。日本では、総量規制どころか、供給過剰に何の対策も講じていない。本当は、こうした違いをこそ伝えたいのに、グラフに並べると「ドイツは空き家が少ないね」で終わってしまう。

こうして考えてみると、統計とは恐ろしいものだ。同じ計算方法で繰り返し計測するのであれば、その比較は意味深い。しかし、国ごとに違う方法で集めたデータを、それらしく寄せ集めて作った比較表に何の意味があるだろうか。世界各国のGDPなど、ひどい内容なのは想像に難くない。そして、日本の「空き家数」など何の意味があるのだろう。自分で解説を読み返すと、訳が分からなくて笑えてくる。

今回もう一つ感じたのは、統計データにその国の目指すものが現れるということだ。国が統計を取るのは、膨大な費用と時間を費やす大仕事なので、よほど重要でないと実施されないはずだ。日本で主要な統計を取っているのは総務省と国税庁で、他の官庁はその管轄範囲内の統計にとどまってしまうのは当然のことだ。例えば、日本国土の使われ方を知るのは難しい。唯一全体を網羅する国税庁では「公有地と民有地とその他」となり、「その他」の内訳は、管轄官庁が無いからわからない。地主を管轄する官庁が無いので、地主に関するデータはほとんどわからない。それは、日本という国が地主について把握する気がないことを意味する。さらに言えば、地主に関する法律もなければ学問もない。日本の経営に「地主は必要ない」とでも考えているのだろうか。

僕が言いたいのは、こんなことらしい。だから、それを展示するのも冊子にまとめるのも、きっと無理だと思う。でも、この展示に挑むことで、こんなことが見えてきた。この展示を介して、皆さんにこの話をすることはできるだろう。だから元気を出して、SHO-KEI-KAN展Ⅲを開催する。5/16~21、皆さんのご来場を、心からお待ちしています。

ただ今六日町訪問中

新潟県六日町にお住いのMさんから初めのメールをいただいたのは、4月22日のことだった。7年前まで旅館を営んでいた築45年の建物を、どのように活用できるか、否か、考える時期でもありと思い、笑惠館に興味を持ちメールいたしました・・・との問い合わせに、僕は即刻反応した。「”笑恵館”は、オーナーである田名さんの願いを実現したプロジェクトです。私どもは、こうした”土地・建物の活用に挑むオーナー”を支援することが、地域の衰退や空き家問題に挑む最善策だと考えております。Mさんのお悩みを、是非ともお聞きしたいと存じますので、まずはメールで何なりとお伝えください。」という僕の申し出に対し、すぐにMさんから歓迎のメールが届いた。こうなったら行くしかない。早速カミさんと母を誘って、昨朝、六日町に向けて出発した。

GWにもかかわらず都内も関越道もスムーズで、9時には新潟県に入ることができた。いつも通過してしまうエリアなので、道草をしてみようと湯沢で高速を降りたが、巨大リゾートの苗場、スキー客で賑わう田代湖、そして3大峡谷の一つ清津峡など、見所がたくさんあり、六日町に着いた時は15時になっていた。Mさんのお宅は六日町駅からほど近いまちかどにあり、すぐにわかった。車の気配に気づいたのか、Mさん姉妹がにこやかに出迎えてくれた。早速館内をご案内いただき、客室や離れの温泉を拝見した後、食堂らしき部屋で改めて互いに自己紹介。実はMさん姉妹と僕たち夫婦はほとんど同年代ということが分かり、あっさりと意気投合。さらに母も交えて話をするうちに、まさに家族同士の関係になってきた。土地資源の活用にとって、僕は家族のきずなを作ることが大切だと考えている。やがて話は本題に移ったが、その内容はまた別の機会に報告したい。

僕の基本姿勢をご説明し、Mさんサイドの事情をおよそ理解できたところで、みんなで近所を散策することにした。子供時代からこれまでのまちの変遷を聞きながら、今がどんな状況なのかを知り、季節の移り変わりの話を聞きながら、今がどんな季節なのかを知る。地元に人に自分のまちを案内してもらうことは、訪問者にとって本当に贅沢な体験だ。六日町は僕にとって、中学1年の時水泳部の冬合宿で訪れた懐かしいまちでもある。6年生の時川で泳いでいたというMさんと、あの時六日町の自慢でもあった50Mの温水プールで泳いでいた僕が一緒に歩く感慨なんて、本当に私的な話だが、そういう小さな共有を大切にして、一人ずつ仲間を増やしていくことが、持続するビジネスを育てるのに欠かせないことなんだと僕は思う。

散策から戻り、一息ついた後、みんなで近所の居酒屋へ。店主の親父さんから「あれ、おばあちゃんの友達かい?」と間違えられ、ちょっといい気分。アケビの芽のおひたし、生ウドのスティックなど旬の山菜に感激。桜の名所の賑わいが収まって、静かな休日を迎えたこのまちで、こんなおいしい体験ができるなんて、これまで「高くて混雑のGWは仕事漬け」を決め込んでいた僕にとって、新発見だった。のけぞって喜ぶ僕たちの姿を見て、むしろ驚いているのはお店の人やMさんたちの方だった。自分の魅力は自分ではわからない・・・と頭ではわかっていても、やはり分からないもんだ。

と気が付けば、日付が変わり眠くなってきた。今日は早起きして、十日町に寄って帰ろう。Mさんのプロジェクトをスタートさせるため、2つの宿題を託して帰ろう。以上、六日町出張第1日目のレポートでした。

成年後見に気を付けろ!

土地資源の活用に関する相談を受ける機会がだんだん増えてきましたが、僕が取り組みたいのは利用者より所有者からのご相談です。なぜなら、土地資源の新たな活用には所有者の同意が不可欠ですし、その継続には所有者の参加が不可欠だからです。ところが実際に相談に見える方の多くは所有者ご本人でなくそのご家族です。所有者にしてみれば、土地資源の将来は自分の死後の世界でもあり、あまり考える気になれないのかもしれませんが、これから土地資源を継承する人にしてみれば、将来は自分が所有者になる時のことなので真剣です。ところが本人以外のご家族は実際の決定権を持っていないので歯がゆい思いをされています。そんな中、Sさんは母上の任意後見人となり、いよいよ土地資源のマネジメントに乗り出そうとした矢先のこと。家庭裁判所から大ブレーキがかかったのです。

成年後見制度(せいねんこうけんせいど)とは、広義にはその意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する(成年後見)ための制度のことです。認知症など判断能力のなくなった人が、無駄遣いをしたり騙されたりして経済的に破たんしないように保護するため、後見人が本人に代わって財産を管理し、その内容を家庭裁判所に報告します。したがって、土地資源に関していえば、不利益な条件で賃貸したり、不当な安値で買いたたかれるのを防ぐ効果は絶大です。しかし、土地資源の積極活用を促進したり、保全整備に費用をかけることは、その妥当性を家庭裁判所がすべてを判断することになります。さらには、そうした業務の対価を得ることは後見人には原則として許されません。それが被後見人の子どもであれば、相続対策として否認されます。

この制度において、土地や建物は所詮「財産=お金」です。そうでなければ、その価値を誰も客観的に評価することはできないでしょう。もしも被後見人が望む姿が、周囲の人からどんなに喜ばれるものであろうとも、その資産価値を下げることになるのであれば認められません。そんな「価値」に関する議論を、弁護士や裁判所としなければならないこと自体、とんでもない負担であり無駄なことです。たとえ本人が何もわからなくなっても、その財産の継承者が本人の意思も引き継いでさえいれば、傍からどう思われようとかまわないはずです。

この制度には民法に基づく法定後見と、任意後見契約に関する法律に基づく任意後見とがあり、「成年後見」の内容については様々ありますが、「成年後見」自体を中止することは「被後見人の判断能力が回復するか死亡した時」でなければできません。つまり、「一度始めたら、やめることのできない制度」と考えるべきでしょう。財産や思いを継承する人がいないのであれば、これも当然のことと思いますが、もしも信頼できる継承者がいらっしゃるのでしたら、この制度は「引き返しのできない本当の最終手段」と考えるべきだと思います。

そしてさらに思うのは、どんなに仲が悪くても、財産や事業の継承については1日も早く始めることが肝心だと思います。そもそも、周囲の人が財産を把握していないことが騙されたり取られたりする原因です。家族の財産は、誰の名義であろうと家族全員が所有者の自覚を持ち、「みんなの資源」として生かすべきです。それができない時点で、すでにその家族は崩壊していますし、それができる間柄でありさえすれば、血のつながりなど関係なく家族として存続できるのだと思います。裁判所に守ってもらう家族になど、絶対になりたくありませんよね!

僕を釣った男

今回の訪問は、石川県羽咋市宇土野町にある、築350年の岡部家住宅の再生プロジェクトが始動する節目の訪問だ。これまでは、岡部家の方や現地の親戚(分家)との信頼関係を築くプロセスだったのに対し、これからは現地での新たな仲間作りとして、家族の輪を広げる段階に入る。そこで僕は事前準備として、「羽咋」で検索できたすべてのサイトを覗き、その手掛かりを模索した。そしてようやく唯一のサイトにたどり着いた。それは、羽咋在住の個人が独自の視点で羽咋の魅力を発信するサイト。誰にでもできそうな、ささやかな地元紹介のサイトが一つだけ見つかった。僕は早速そのサイトの問い合わせフォームに熱い書き込みをし、返事を待った。すると、2日後にこんな返事が返ってきた。

「日本土地資源協会 松村様 はじめまして。
羽咋観光サイト(http://hakui.me)の運営をしております吉田圭哉と申します。(実名でいいよね!)
この度はご連絡ありがとうございます。古民家の活用について興味深く読ませて頂きました。私は羽咋でフリーランスとして活動しています。主な事業はWeb制作です。地元である羽咋で働き始めたのは去年からでして、まだ人脈や影響力が少ない人間ですが、何かお力になれれば幸いです。よろしくお願いします。(3/17)」

そこですかさず、僕はこう返した。

「吉田さん、早速お返事いただきありがとうございます。早速ですが、4月の9-11日にかけて羽咋にお邪魔することにいたしました。その際には是非ともお目にかかり、様々情報交換させていただければと思います。また、早速Facebookで友達申請もさせていただきましたので、よろしければご承認のほど!
それでは、取り急ぎお返事まで。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。(3/17)」

これに対し、吉田さんの返信は・・・

「松村様 こんにちは。吉田です。4月の9~11日まで羽咋にいらっしゃるのですね。私は9日(土)の午後~夕方までは予定が入っておりますが、他は空いておりますので、ぜひお会いできればと思います。楽しみにしております。現状で、古民家及び敷地内の活用方法で決まっていることがございましたら、参考までにお知らせ頂けると幸いです。よろしくお願い致します。(3/18)」

こうなると、話は早い、状況説明の後こんなメールを届けた。

「先ほどの続きです・・・
それと、これは勝手な妄想なんですが、羽咋での活動の広報を、吉田さんにお手伝い願えないかと考えています。私も所有者も東京にいるため、この事業の現地協力者をどれだけ集められるかが、とても大切だと考えています。まして、現地のビジネスは現地の皆さんに担ってもらうべき。なので、吉田さんには業務委託先ではなく、事業パートナーとして参加していただけないでしょうか。少なくとも、そんな思いでおりますので、ご承知おきください。ご意見がありましたら是非お聞かせください。ではでは!(3/18)」

そしてこんなお返事が・・・

「松村様、こんにちは。吉田です。
(中略)また、事業パートナーとしての参加の件、光栄です。9日と10日の夜は体を空けておきますので、よろしくお願いします。(3/19)」

これで決まり。
やり取りを開始して2日後に、無理やり事業パートナーに任命、その後現地説明会の参加者を集め、4月10日の説明会が実現しました。説明会には京都の大学を卒業して地元に戻ってきた新卒女子Eさんから、苦労人の市議会議員Mさんまで、6名が参加、先回お話しした「よぼし親子」の縁を結んだところで、会は最高潮に。最後に一人ずつ感想を述べてもらうことにして、最初に立ち上がった吉田さんがこう切り出したんです。

「今回自分のWebサイトで松村さんを釣った吉田です。やりましたっ!!」

これには一同ひっくり返って大笑い。僕も絶句でした。しかし、彼の言う通り、僕は吉田さんを釣ったつもりでいましたが、釣られたのは僕の方だったんです。

いろんな出会いがありますが、今回は本当に痛快です。だからそのままお見せしちゃいました。

都会の中の村づくり 砧むらOBK

いよいよ「砧むらプロジェクト」がスタートします。そもそものきっかけは、笑恵館のご近所に住むOさんのお宅に、僕が「空き家資源キーパーズ」のチラシをポスティングしたことでした。Oさん宅は、すでに3人の息子が独立し、高齢者夫婦二人で大きな家を守っています。さらに隣接する4軒の内2軒が空き家なので、これらが庭を介して連続し、村のようなシェアハウスとなり、若者たちと地域の高齢者が一緒に暮らすようになるのは夢物語だろうか・・・という相談でした。

「これは面白い!」と僕が飛びついたのは言うまでもありません。早速Oさんに依頼して空き家のオーナーを探し出し、空き家活用の提案をしてみましたが、まるで相手にしてくれません。「どうにもならないからこそ、空き家なんだ」と、当たり前のことに気付かされましたが、かと言ってここで諦めるOさんではありません。「隣家が協力してくれないなら、もっと周りの人たちに相談しよう。この周辺は独り暮らしのお屋敷がひしめいているのだから、まずはお茶や食事で誘い出し、愚痴を言い合う仲間を増やしたい。」と言い出しました。そういうことなら任せて欲しい・・・ということで、まずは近所で仲間を募り、企画や運営に当たる組織を作ろう・・・ということでできた団体が「砧むらOBK(おばちゃん会議)」です。

「近所の人を巻き込んで、困りごとを出し合いながら、お互いに助け合いましょう」と呼びかけると、メンバーのおばちゃんたちが続々と参加してきます。そんなメンバーたちが集まるOBKの定例会議は、困りごともたくさんあるし、お節介も焼きたいし、まさにおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎです。「お互いに助け合いたい」という飢えにも似たニーズがこれほどあるのかと、「おじさんの僕」にはまざにびっくりポンでした。

Oさんの自宅1階の一部を開放して開設する「くつろぎ処・おおがいさんち」は、祖師ヶ谷大蔵駅から7分ほどの砧4丁目に位置します。その周辺500世帯ほどすべてに、「砧むらだより」を毎月配布し、しつこくお誘いを続けます。砧むらだよりの見開きページは砧むらの地図になっていて、参加してくれる村人のほか、様々な村内の情報を盛り込んでいきます。「まちづくり=地図づくり」という考え方で、自分たちが必要なことを盛り込んだオリジナルの地図を作ることこそが、この事業の核心です。やがて、村民の住まいの空き室や、村内の空き家を活用する様子が、この地図に盛り込まれていくことを目指したいと思います。

4月8日の14時から行う、オープン記念イベントの内容は・・・

14:00 ~ 和太鼓の演奏

14:30 ~ 挨拶・乾杯

15:00 ~ 講演 大海宏“アインシュタインと僕“

15:30 ~ ウクレレの演奏

です。初めに和太鼓を鳴らし、近隣のどこからクレームが出るか確認し、それも踏まえてセレモニーを開催します。その後、物忘れが激しくなってきたOさんのご主人のお得意の自慢話“アインシュタインと僕“で、プリンストン大学在学中に晩年のアインシュタインと接した思い出話を聞きます。

 

無縁社会になりつつある都会の住宅街で、お節介なおばちゃん達が前代未聞の「まちづくり」に挑みます。これまでもいきなり電話がかかり、「天井の電球を変えて欲しい!」とか、「粗大ごみを搬出するのを手伝って!」とか、容赦なく雑用を言いつけられ、今後はさらにエスカレートしていくのだと思います。でも、そんなお手伝いがすべて「営業活動」だと考えています。そんな中から、いずれ手弁当ではできない仕事が生まれてくるのだと思います。ミケランジェロもダビンチも、そうやって仕事を取ったのだと思います。ビジネスで地域に貢献するということは、そういうお付き合いだと、僕は思います。

おおがいさんちのホームページ

みんなのビル 相談会

【みんなのビル】とは、みんなが「自分のビル」と思って使えるビルのこと。

  • つまり、オーナーが仲間を集め、みんながオーナーとなって一緒にビル経営をすることで、ビルオーナーの孤立や孤独を解消します。

 

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 プロジェクト名: みんなのビル
 目的: せっかく一等地にビルを持っているのだから、
余った部分を開放し、新しいビジネスを生み出したい。
 方法: 所有者と私たちが、ビルと事業ノウハウを出し合って、
資源として活用するパートナー事業を行う。

みんなのビル・スタートします!

笑恵館は会員制の【みんなの家】。「所有権をシェアする人たち=家族」という新たな発想で、遊休土地資源の活用と地域における孤立の解消を促進する、LRプロジェクトの第1歩です。

そして次なる1歩が【みんなのビル】。さらに都心部で、土地資源活用と孤立解消の二兎を追い、新たなビジネスとコミュニティの創出に挑みます。

 

事業説明会のご案内 3月10,24日、4月14,28日

第2,4木曜日に 事業説明会開催します!

【みんなのビル】とは、みんなが「自分のビル」と思って使えるビルのこと。つまり、オーナーが仲間を集め、みんながオーナーとなって一緒にビル経営をすることです。

この事業の狙いは「オーナー」の孤立解消です。
「空き家の無い社会」とは、オーナーが孤立せず、みんなでオーナーの苦労を分かち合う社会だと思います。

ここを素晴らしい国にするには、
まずはオーナーが元気になること、
そしてオーナー業が面白くなること、
ではないでしょうか?

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▶▶ メールでのお問い合わせはこちらから

▶▶ チラシデータ(pdf版)のダウンロードはこちらから

▶▶ 会場:笑恵館はこちらから

所有権を使ってできること

1.      土地所有権は、夢を叶える自由

  • 所有権は、土地を自由に利用できる権利です。
  • だからこそ、あなたの願いを叶えるために、所有権を使いましょう。
  • 土地資源を活用して、あなたの願いを叶える提案をいたしますので、まずはあなたの願いをお聞かせください。
  • 積極的な思いでなく、「・・ならないようにして欲しい」など、消極的な心配事でもかまいません。
  • あなたの世代で叶わなくても、誰かに引き継いで欲しい想いでも結構です。

2.      土地所有権は、事業を生み出す力

  • 所有権は、収益を得る権利です。
  • だからこそ、収益をそのまま不労所得にせず、それを財源とする事業を生み出しましょう。
  • 何をやるかを決めるのも、許すのも、所有者だけができること。
  • 自ら管理人を務めてもいいし、掃除係でもできることをやりましょう。
  • いずれは信頼できる人を雇用して、あなた自身は扶養されるようになることもできます。

3.      土地所有権は、家族をつなぐ絆

  • 所有権は、シェアできる権利です。
  • だからこそ、所有権をシェアするコミュニティを作り、あなたに賛同する人を受け入れましょう。
  • 自分のものと思えば、利用者は「料金を支払う他所の人」でなく、「応分の負担を担う身内の人」に変化します。
  • みんなが自分のものと思って大切にし、面白くしていく循環を作りましょう。
  • これからの家族は「家に所属する人たち」から、「家をシェアする人たち」に変化するでしょう。

4.      土地所有権は、永遠に変わらない価値

  • 所有権は、永久に変わりません。
  • だからこそ、売ることを前提とぜず、無限の資源と考えた方が得だと思います。
  • 老朽化や時代遅れになるのは、土地自体でなくそこに作られた施設や設備にすぎません。
  • 借金が無い、古びて味わいがある、壊しても惜しくないなど、古いことのメリットはたくさんあります。
  • いつまでも若くいるより、歴史を刻むことで価値を高める事業を目指しましょう。

自立と孤立

無縁社会の言葉の通り、孤立する人が増えている。収入を得られずに結婚や扶養を諦める人。収入を得るために仕事を優先し出産や同居を諦める人。その背景には、「個人の自立」を善とする社会の合意が存在する。自立することは大切なことだが、孤立することは恐ろしいことだ。できれば「孤立でない自立」を目指したいと思うのだが、それは可能なのだろうか。自立は他に依存しないで自分独りで立つこと、つまり独立に近い考え方だ。一方孤立とは、他とのつながりや助けの無い状態のこと。結局両者の違いは、他の助けを必要としないか、得られないか・・・に集約される。

自立した老後を送るため、貯金に励む人がいる。お金があれば生活費に困らないし、最後は有料の施設に入ることもできる。たとえ離婚してシングルマザーになったとしても、十分な収入さえあれば子供を保育園に預けて自立することができる。こうしてお金の力で他に依存せずに生きることを「経済的自立」と呼ぶ。しかしこれでは、お金の力で多くを他に依存して生きているにすぎない。他の助けを必要としないとは、有償サービスを含めて他の負担にならないということではないだろうか。

そもそも「経済的自立」という言葉には大きな嘘がある。たとえそれを自立と認めたとしても、実現できるのはごく少数にすぎず、「みんなが目指すべきもの」には到底なり得ないということだ。人口が増加し、経済が成長しているうちはそういう雰囲気を演出することも可能だったかもしれないが、豊かになって働かない人が増え続けている日本は、いまや赤字国債を担保に日銀がお札を印刷しているにすぎない。僕たちは、自立どころか「お金依存によると孤立病」に蝕まれているのではないだろうか。

この病から脱却するために、僕は「お金に換算しない自立」を目指そうと思う。それは、わずかでも他の人を助け、自分も他の助けを求めること。他に助けを求めることは、決して自立を損なうことではない。他に助けられた以上に他を助ければいいではないか・・・と僕は思う。「みんな」とは、不特定多数の「誰も」ではなく、「自分を含んだ僕たち」のこと。助け合う仲間たちが他の助けを必要とせずに自立すれば、そこに孤独の心配はない。「みんなのビル」は、まさに「孤立でない自立」を目指すプロジェクトだと思いませんか。

つまらないを定義する

「みんなのビル」は、つまらないビル経営を面白くするプロジェクト。ここで言う「つまらない」とは、次の4つのことを指しています。
1.相続する身内のいない【諦めのビル】
2.その良さが活きてない【残念なビル】
3.老朽化して人気のない【老いたビル】
4.他人任せで苦労の無い【不労のビル】

LR事業についてご理解いただくため、これらの課題にどうやって取り組むのかをお話しします。

1.相続する身内のいない【諦めのビル】

せっかく引き継いだ土地も、苦労して築いた建物も、それを相続する人がいないのは「寂しい」ことです。そしてたとえ居たとしても、自分の思いを引継いでくれる人でなければ同じことだと思います。だとすれば、実は多くの人がせっかくの財産を「譲りたい人に譲れない」という悩みを抱えています。これが第1の「つまらない」・・・【諦めのビル】です。

もしも相続人がいなければ、財産はすべて国のものとなってしまいます。すべてが換金され、何かの役に立つのかも知れませんが、土地は誰かに売却されてしまうのです。たとえ相続人がいたとしても、その土地に興味が無ければそれまでだし、複数で相続すれば分割されてしまいます。土地は消えることが無いので、無残な姿に変わり果てることでしょう。だから、土地は単なる財産でなく、代々の所有者の思いがこもった資源だと思うのです。

そこで私たちは、オーナーの思いを受け継いで、土地を生かし続ける事業に取り組んでいます。人には必ず寿命があり、次世代への引き継ぎは避けられません。家族制度が崩壊し、相続人のいない土地が急増しているといいますが、そもそも家族制度の目的はこの引き継ぎだったはず。土地の引き継ぎができない家族は家族の内に入りません。むしろ土地に込めた思いを伝え、それを引継ぐ人を家族と考えるべきでしょう。当協会は、その意味において土地資源継承のための「家族」を生み出します。

「家族=所有者と所有権を分かち合う人」が、この問題に対する私たちの答えです。

2.その良さが活きてない【残念なビル】

せっかく作った中庭が荒れ果てていたり、せっかくシンプルなデザインでまとめたのにセンスのないテナントが雰囲気を台無しにしたり、「オーナーの夢が叶っていない」と感じさせるビルをときどき見かけます。本当のところはオーナーに直接聞いてみなければわかりませんが、もったいないことは事実です。これが第2の「つまらない」・・・【残念なビル】です。

どうしてこういうことが起きるのかというと、ビルを作るときに目指したことや、工夫したことをビルの運営者やテナント斡旋者が理解していないことが原因です。彼らはそれを知らないのか、知ろうともしないのか。もしも知らないとすれば、それは伝えていないオーナー側に責任があります。思いや目的は、煩がられるほどしつこく伝えても簡単には伝わりません。その上、たとえ伝わったとしても、多くの人がそれをきちんと受け止めず、何の配慮もしてくれません。契約条件にでもなっていない限り、面倒なことはすべて省略されてしまうのが現実です。しかしこれでは、意味がありません。

そこで私たちは、オーナーの思いやこだわりを共有し、それを発信します。オーナーが本当に望むことは、多くの場合収益ではなく、その先の目的です。それは社会での評判や評価かもしれませんし、そこに集う人たちの笑顔や賑わいかもしれません。たとえ空室が無く収益が上がっていても、工夫や苦労は報われたとは言えません。たとえ時間がかかっても、それに賛同する人たちが集まるよう、もう一度オーナーのチャレンジを実行します。当協会はオーナーのこだわりが社会の利益に貢献することで、やり甲斐のあるビル経営を実現します。

「甲斐=社会の利益に貢献すること」が、この問題に対する私たちの答えです。

3.老朽化して人気のない【老いたビル】

せっかくローンの返済も済み、ゆとりのあるビル経営ができる時期になったのに、ビルは老朽化し、設備もデザインも時代遅れになれば、おのずと活気のないビルになってしまいます。実のところ、これ以上儲かっても税金が増えるだけなので、空室が多くても困らないのですが、ビルは荒れていくばかり。これが第3の「つまらない」・・・【老いたビル】です。

こうなると、リフォームやらリノベーション、果ては建て直しまで営業マンがひっきりなしにやってきます。日本では「新しい」ことに価値があることは確かです。賃貸住宅の退去時には壁紙が張り替えられ、中古住宅のリフォームを新築そっくりさんと呼ぶ会社もあります。しかし「新しい」という価値は、時間とともに無くなります。後発の「新しい」と常に比較され、勝ち目はありません。もうこれ以上、自分に不利な価値観につき合わず、「古いことはよいことだ」と頭を切り替えるべきだと思います。そして大切なことは、お金の力で無いものねだりを解消するのでなく、現状ここにあるものを活かしきり、使い切ることです。「ローンの負担が無い」という自由を、最大限に生かすことが大切です。

そこで私たちは、空室や未利用のスペースを閉鎖せず、現状のままで誰でも使えるように開放し、新たな利用者を受け入れます。無料開放を進める一方で、長期や短期の占有利用やスペース以外の壁面や屋外利用など、新たなニーズを捉えて収益化を進めます。設備投資は使用後の寄贈を前提に利用者の負担で行います。耐用年数を経た時点で施設を更新するのではなく、永続施設として維持するにはどうすればよいかを考えます。当協会は、その意味において土地資源の「永続活用」を目指しています。

「土地資源=永久になくなることのない無限の資源」が、この問題に対する私たちの答えです。

4.他人任せで苦労の無い【不労のビル】

不動産収入は代表的な不労所得です。ビルやアパートを経営するといっても、実際の管理業務やテナント募集は多くの場合不動産屋に任せきりで、忙しい仕事とは言えません。もちろんそうなるためには、大変な苦労と努力があったのですが、その後継者はその苦労もなく働かなくなってしまいます。これが第4の「つまらない」・・・【不労のビル】です。

土地や建物から賃貸収入を得ることを「大家業」といいますが、これは単なる俗称でそんな産業は存在しません。監督官庁も無ければ、準拠すべき法律も民法と憲法です。「大家」とは、職業ではなく身分の呼び名といっていいでしょう。多くの人は、自分自身が使うために土地を所有して、家賃を払わずに家業を営んできたのに、その後継者がいなくなることで廃業し「大家さん」になったわけです。ですから、このままでは後継者が育つはずがありません。所有者自身が土地建物を活用するビジネス=仕事を生み出さなければ、継承のしようがありません。

そこで私たちは、全ての施設に専任の管理者を置き、ビル運営という業務を創出します。さらに、施設の保全や整備、そして更なる利用の促進のため様々な業務を創出し、雇用を生み出します。所有者は土地資産から不労所得を得るのでなく、自ら提供した土地資源が生み出す収益から、働いた対価を得るようになります。当協会は、その意味において土地を「資産から資源」に、所有者を「大家さんを就労者」に変換します。

「LR事業=所有者参加の土地活用ビジネス」が、この問題に対する私たちの答えです。