江戸時代以前には、エネルギーや食糧の供給や流通もほとんどなく、すべての地域が自給自足で自立していたはずだが、行政や企業もまだ存在していなかったということは、それらをすべて地主が担っていたと想像できる。その後の明治維新から始まった日本の急速な近代化は、きわめて多岐の分野にわたるため、社会に多くの革命的な変化をもたらしたが、地主中心の封建時代を終わらせるという意味では、「脱地主革命」のはずだった。「脱地主革命」とはあくまで私の造語で、明治維新においても地主から一気に権限を奪ったわけではなく、段階的に制度を整え、地主から行政や企業に役割の引き継ぎが行われたと言える。さらに興味深いのは、その後の経済発展により土地売買が活発化し、地主の権限の引継ぎを伴う土地継承が、単なる所有権の売買に変化することで新たな所有者が地主の自覚を持つことも無くなり、「スムーズな革命」が実現した。

 

ところがバブル経済が崩壊し、日本経済の低迷が長期化するにつれ、空き家問題に代表される土地余り現象が問題化してきた。実は、土地が地主の手を離れ、売買されるようになった当初から土地余りは起きていたのだが、日本の経済成長が「土地価格は下がらない」という土地神話を生み出し、財産を持て余す豊かさと思われてきた。バブル崩壊が招いた地価の下落も一過性の現象と思われたかもしれないが、その後これほど経済の低迷が長期化し、回復の兆しが見えないと、さすがに土地神話は崩壊する。土地は要らなくなったら売ればいいという安易な発想は通用しないのに、デフレ時代の低金利がそれを許容するという悪循環から抜け出すには、私たちは一体どうすればいいのだろう。

 

だから私は「脱地主革命」という言葉を思いついた。今の状況は「脱地主革命」の失敗を意味しているのではなかろうか。それは、脱地主が間違っていたというよりは、脱地主が不完全だったのではないだろうか。地主から引き継ぐべきもっと大切なことがあったのではないだろうか。地主の時代が1000年以上も続いたのは、平和な時代が続いたのではなく、様々な危機を何度も乗り越えてきたからだと思う。土地の使い方が判らないとか、土地を使う後継ぎがいないなどの言い訳は、地主の時代では許されなかったことだろう。土地を切り開いて活用し、そこで暮らす家族が世代を重ね、やがて地域社会が形成されていく、そんな地主の基本的な役割を、誰かが引き継がなければいけなかったのではないだろうか。

 

そこで私たちは、新しい地主を育てる取り組みを始めた。新しい地主とは、土地を売却せず永遠に使い続ける人たちのこと。現在土地を持て余しているのは、その土地を使ってどのような仕事を生み出し、どのような家族で引き継ぎ、どのような地域をつくっていくかという、土地の未来を描けない所有者たちだ。だから、所有者と共に未来を描き、それを願う所有者から土地を引き継いでいけばいい。親族か他人かどうかに関係なく、新しい地主に引き継がなければ、相続しても結局売られるだけのこと。地主にとって一番大切な役割は、土地の未来を描くことではないだろうか。そして余った土地の地主たちが、仕事や家族や地域の未来を描き、その実現に取り組むようになれば、脱地主革命の失敗を乗り越えて、日本は生まれ変わっていくはずだ。

 

この本では、「脱地主革命」という新たな視点から地主の役割のこれまでとこれからを見直すとともに、これからの未来に向けた土地の価値や所有に関する権利義務についても考察した上で、我々の取り組みを具体的に紹介する。一番読んで欲しいのは、土地を持っているのに地主として未来を考えていなかった人と、土地は持っていないがこれから未来を描いて地主になりたい人だ。もちろん、すでに未来を描いているのに継承者がいない地主さんや、描いた未来を地主さんに聞いて欲しいという人は、本を読まずに連絡をくださっても構わないし、土地は無いけど自分の仕事や家族の未来について考えるために読んでもいい。いずれにせよ、地主とは土地を支配する王様のこと。みんなが自分の人生を支配する王様になることが、本当の民主主義だと私は思う。