脱地主革命が始まった明治維新の当時はすでに、イギリスで起きた産業革命に端を発する工業化の競争に欧米の列強諸国がしのぎを削っていた。フランス革命やアメリカ独立は明治維新の100年前に起きているが、統一の遅れたドイツやイタリアは明治維新と同時期に統一を果たしており、先進諸国の足並みが次第にそろい、互いに模倣し合う時代だったのかもしれない。明治維新が社会全般の大変革となったのも、すべてが国内から生まれた改革ではなく、ほとんどが先進諸国の模倣によるものだったからだろう。

 

明治政府の当事者たちは、政界と財界の二手に分かれて役割分担し、官民双方からの国づくりに取り組んだものの、模倣による試行錯誤を繰り返すことになる。まずは、官の側が全国を自治体として管理することとなり、その結果徴税者と納税者の双方を担っていた地主は、徴税者の役割を官に引き継ぎ、納税者の役割を民として担うことになったのではないかと思う。余談だが、アメリカでは全国を自治体が管理するのではなく、州政府による大まかな郡ごとの管理にとどめ、自治体は地域住民が自ら運営する法人として認可する方式を採用した。したがって、いまでも国土の半分以上は自治体の無い地域のままだ。

 

実際の地主の役割は年貢の取りまとめだけに留まる訳ではなかったので、おとなしく単なる納税者になるはずもなかった。年貢とは、稲作で収穫される米のことなので、そのとりまとめは稲作全般にわたることを意味していた。稲作は田んぼで行われるため、水源や水路の確保や道路や里山の整備が必要であり、集落全体が協力し合う土地利用の体制を築き運営するなど、役所ができる以前の地域社会を仕切っていたのは所有者である地主だった。したがって、農業や林業を担うのも地主の役割で、これらを引き継ぐ様々な仕組みが作られた。

 

さらに、年貢米を収めた後に残る生活の糧は、ふんだんにあったとは言えず人々の暮らしは貧しかった。そこで、地域の集落における暮らしのやりくりや互助の仕組みを取りまとめるのも、地主の役割だった。「村八分」という言葉にある通り、どんな不始末をしても協力する「火事と葬式」以外にも、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行などの交流を共同体は担っていた。したがって、現在でも小規模な町村においては江戸時代からの地縁性が残っており、当時の様子をうかがい知ることができるという日本の町村の特徴となっているようだ。

 

このように、地主は営利を追求する会社だけでなく、その格差を調整する社会の福祉的な役割も担っており、それらは官民双方に引き継がれていったが、それはある意味で地域社会の経営を担う大役からの解放であり、その結果、次第に行政や企業のサービスに依存する土地所有者へと変化していった。それに加えて、行政が地主を徴税者から納税者に変えるだけでなく、企業は地主を経営者から顧客へと変化させていくことになり、そのため、それまでの社会的な負担を軽減する一方で、制度や仕組みを整備しながら納税や購買に対する優遇も必要だったようだ。

 

そこで本項では、政治や行政の変化と共に地主の時代を終わらせてきた社会の役割と、経済情勢の変化と共に地主に対するサービスを充実させてきた会社の役割を地主の立場から検証することで、脱地主革命の外面的プロセスを説明する。その結果としてもたらされた社会構造の変化と、失われつつある「地主時代における社会の自立性」について考察したい。