地主の役割を外部の行政や企業に引き継いだことを外的革命というならば、内的革命とは、地主の役割を内部の後継者に引き継がなくなったことをいう。まずはこの引き継ぎについて詳しく説明したい。

 

土地を所有するということは、土地を自分の身体の一部にすることとよく似ている。自分の身体だから、どうしようと自分の勝手だが、大切にしないと苦労したり損をするのも自分自身だ。一方、自分の身体と土地の違いは様々あるが、何と言っても自分は死ぬが、土地はいつまでも死なないことだ。だから、自分が死んでも土地は残るので、土地を誰かに引き継ぐ必要がある。その際、土地を使ってやってきたことや、これからやろうとしていることのうち、引き継いで欲しいことがあれば、それをできる人にその引き継ぎを引き受けてもらう必要がある。そこで人間は、若くて引継げる人を育てる家族という仕組みを作ったと考えられる。したがって、土地を引き継ぐということは、その土地を使って行う仕事も引き継ぐことであり、土地と仕事と家族が、継承の仕組みとなるが、前項でした「家庭から社会と会社が生まれた」という話は、この「家族と土地と仕事」が拡大したイメージだ。

 

土地の継承とは、簡単に言えば土地を買うのでなく貰うこと。地主の時代と共に終わったのでなく、現在も続いている。そもそも売買されている土地のほとんどは宅地と呼ばれる土地に限定される。日本の国土面積は37万平方キロメートルだが、その約4割の16万平方キロメートルが民有地と呼ばれる私有地だ。民有地の分類は地目と呼ばれ、宅地、田、畑、山林、牧草地、雑種地などに分けられるが、宅地建物取引業を営む不動産屋が仲介するのは宅地のみであり、その面積は民有地の1割程度に過ぎない。つまり、宅地以外の売買は活発に行われてはいないので、売買されているのは国土全体の4パーセントにすぎないことになる。もちろん、地価が高いのは宅地であり、金額的には売買の比率が高いと思うが、面積的には大部分の土地は売買によらず、継承されている。

 

ただ、地主の時代は生活の糧は土地しかなく、土地を耕す小作人を確保して、彼らを生かさず殺さず働かせ、年貢を取り立てることが、地主の仕事だったので、全ての人が土地に縛られる封建時代とも呼ばれていた。そのため、地主の無事な継承は、集落に暮らす全ての人の願いであり、死活問題でもあったので、地主家族は何よりも後継者の育成を優先し、厳格な身分差別を行った。土地や財産は散逸を防ぐため家督として一括で継承されたため、一子相伝とされ、家督継承後は旧家長が隠居して新家長の扶養家族となった。長年続いたこの形式は、現在に至っても家族形式のモデルであり、これに代わる家族の永続モデルは現れていない。

 

封建社会で土地に縛られたもう一つの要因は、土地利用の固定化だ。田畑永代売買禁止令(でんぱたえいたいばいばいきんしれい)など、飢饉による百姓の没落を防ぐ目的で農地から他への転用は固く禁じられてきた。したがって、明治維新以降の、地租改正と田畑永代売買禁止令の解除が、封建社会からの開放と土地利用の自由化を制度上もたらしたと言ってもよい。だが、それらを現実的に推進したのは、土地の継承を妨げる「土地売買の自由化」と、「相続税の導入」だ。

 

そこで本項では、土地売買が継承しないメリットに、相続税が継承することのデメリットになることを検証することで、脱地主革命の内面的プロセスを説明する。その結果としてもたらされた土地所有者の変化と、失われつつある「地主の持っていた自由と責任」について考察したい。