相続といえば、相続税のことを思い浮かべてしまうが、そもそも相続は継承のことであり、税金の話は後にしよう。相続は自然人の財産を自然人が継承することだが、自然人とは法人に対する人間のことを指す。相続は、死亡に伴う継承だけを意味するわけではないが、法人は死なないので除外する。余談だが、法人が個人より信頼されるのは、死なないおかげもある。仕事を依頼した相手が個人なら、死んでしまえば責任を問えないが、依頼先が法人ならスタッフが死んでも仕事はやめられない。自然人は生きている間でも、初めは経験不足の若者で、最後は体力の衰えた老人になる。そんな意味では、社会や会社に対して役割を担うには、法人の方が好都合かもしれない。

 

相続は、基本的にすべての財産を継承することだ。全ての財産とは、すべての権利と義務を指すので、債権・債務のすべてを含む。つまり、被相続人と利害関係者との間でなにも清算せずに相続するので、現預金や金銀財宝などだけでなく、借金や連帯債務など負の財産も含まれる。これを選り好みするわけにはいかず、相続したくなければすべてを放棄しなければならない。この考え方は包括継承主義と呼ばれ、現在日本やドイツで採用されている。これに対し、イギリスやアメリカでは清算主義が採用され、相続が発生しても人格代表者と呼ばれる代理人がすべての相続財産を預かって、利害関係者たちとの清算を済ませ残った財産のみを相続する。だが、これは債務の方が多ければ成立せず、本来の相続とは言い難い。

 

日本では古来から、家督相続というやり方が一般的で、すべての財産を一人の後継者が代表して相続した。家督という言葉が示す通り、この仕組み全体が家族制度として引き継がれてきた。江戸時代には武士階級において確立した家父長制を基にして、1898年(明治31年)に制定された民法において家制度として規定された。親族関係者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族で構成される家にして、戸主にその統率権限を与えたので、その権限も含めた相続が行われる。したがって、その権利を複数に分割するわけにはいかず、長男が継げば、次男以下には何も与えられなかった。戸主の権限には、扶養義務も伴っている。相続には、被相続人と生計をともにした遺族の生活を保障するため、被相続人の遺した財産が誰のものでもなくなってしまうことを防ぐ目的もあると思われる。つまり、「家族も戸主の所有物」という考え方だ。これは、封建社会が人を地域や仕事だけでなく、家族にも縛り付けていたことを意味している。

 

日本で最初に相続税が導入されたのは、1905年(明治38年)のことで、なんと日露戦争の戦費調達のためだった。方法は清算方式に近い遺産税方式であったが、当時は家督相続が一般的であり、一般の個別相続より優遇される規定が設けられ、1942年の相続税法改正時には、一般の遺産相続は、家督相続の場合に比べ、2.5倍以上もの相続税が課されうる状態が生じた。近代化に伴い諸外国では民主化が進み、家制度は崩壊しつつあったが、日本では税収の確保を優先し、むしろ家制度を保護したと言えるだろう。しかし、戦後になると、GHQの要請によって日本税制使節団(シャウプ使節団)が結成され、日本の租税に関する報告書(シャウプ勧告)がまとめられた。これを受けて、1951年に税制改革が行われ、富の集中を防ぐために最高税率を高めたり、遺産税方式から、遺産取得税方式に改定された。

 

このように、相続税は相続を継承でなく所得とみなし、所得税の補完機能を持たせると同時に、富の集中を防ぐために富の再分配を目的としているため、財産に関する民主化と個人主義の浸透に絶大な効果を果たしたと言えるだろう。だが、継承した土地を購入した土地と同じに評価され、その売買価格に準じて課税されても、土地を無償で継承する者にその支払い能力はない。そのため、相続税を支払うために土地の売却を行うケースが急増し、これも土地の再分配に大いに貢献したと言えるだろう。