そもそも自由な貨幣経済が成立しなければ、土地売買は普及しない。江戸幕府によって田畑永代売買禁止令が発令されたので、当時の売買について調べても、土地は集落ごとに地主が所有しており、零細な地主がそれを売って小作人になることはあっても、地主が土地を売却することは考えにくく、所有者というよりは管理者の役割を担っていたようだ。したがって、本格的な土地の売買は鎖国が終わり開国して、外国資本の参入によって始まったというべきだろう。現在でも、外国人が自由に土地を売買できる国は、日本をはじめ10か国ほどしか無いようだ。そもそも国境を持つ国では、国境沿いの土地売買は領土の変化に直結する。その点日本は島国だったので、いまだに土地売買については寛容だ。

 

土地売買はもちろん金銭授受を伴うが、それ以前に「継承ではない譲渡」であることに注目したい。先ほど江戸時代の地主は所有者というよりは管理者の役割を担っていたと述べたが、継承とはまさにその役割を引き継ぐことで、そうした引き継ぎを必要としないのが売買だ。だから継承は無償どころか、付随する財産や養うべき家族などの負担がついてくるのに対し、売買で購入者が払う代金には「手切れ金」的な意味もある。売買によって得た所有権には、以前の所有者から干渉されない自由がある。それは代金の額には関係ない。つまり、売買による金銭的損益は、売買の一義的目的ではない。

 

こうして明治維新以後、継承が売買に変化した。市街地やその周辺部で進む宅地化は、地主自身が農地を宅地化するだけでなく、地主から事業者が購入するようになってきたし、道路などのインフラ整備のために行政が土地を買い取るようになってきた。やがて交通機関が発達し、鉄道の駅周辺が賑わいの中心になることで沿線の開発が進んだり、その後マイカー時代が訪れて、郊外に巨大モールが出現して駅周辺や商店街が廃れたりした。こうして時代の変化に応じて土地利用も変化を繰り返したのは、土地売買による自由度だ。もちろん土地売買により儲けた人ばかりでなく、損した人もいただろう。だが、全体として見れば、日本経済は目覚ましい発展を遂げ、「土地は値上がりし続ける」という土地神話が定着した。

 

土地神話が確立したのは、官民双方が地価の上昇を実現する様々な仕掛けを生み、誰もがそれを実感したからだ。日清戦争後の好景気で住宅開発の機運が高まったころ、当時はまだ金融機関による住宅ローンが存在せず、個人の金貸しから借りるしかなかった。そこで安田財閥の創設者である安田善次郎が1896年(明治29年)に東京建物を設立し、住宅ローンの原型を立ち上げた。その後住宅金融公庫が設立され、官が民を追随する形となったが、日本社会が豊かになっていくプロセスは、いつも民間サイドが先行し、政府が後から追随してきたことを忘れてはならない。そして、建設技術や生活設備の進歩により、住宅スペックの向上や高層高密高強度化などが図られて、住宅購入者の住み替えが増加したが、土地や建物の価格は確実に値上がりし、高価な物件への買い替えも盛んにおこなわれた。こうして土地所有者の数(固定資産税納税者数)は800万人から現在4800万人に増加した。もちろん彼らの多くは、自分を地主などと思っていない。

 

土地神話の絶頂期について、もう少し検証しておこう。戦後は地主制を廃止してまで小作人に農地を与え、農業の振興が図られたが、結局農地の細分化により農業技術の進歩が生かされず、日本の農業は補助金漬けに弱体化した。しかし、建設投資の増大が建設労働者のニーズを増やし、疲弊する農村からの出稼ぎ労働を促進してしまった。当初は田舎に残した妻と両親で3ちゃん農業(母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん)と揶揄されたが、次第に父ちゃんが家族を呼び寄せて、都市は拡大し続けた。結果として、建設産業が農業従事者の受け皿となり、日本は建設立国に変貌した。1985年当時、日本の建設市場規模はアメリカを優に抜いていて、関連するメーカー各社も世界を席巻していた。

 

だが、その神話はバブル経済と共に崩壊した。株価と共に地価も大暴落し、すべての開発は停止した。そして、バブルで貯めこまれた預金に支えられて乱発された赤字国債は、その残高が1000兆円を突破した。税収が50兆円しかないくせに100兆円の予算を組む日本政府は、まだ赤字国債を出し続けている。その利払いを10兆円に抑えるために、金利を1パーセントに維持せねばならず、ついに日銀はマイナス金利に突入した。こうした低金利政策が日本のデフレ経済を支えている。バブルで崩壊したはずの不動産市場なのに、預金金利が低すぎるため、余剰資金が不動産投資に集まってしまう。また相続税に関しても、現預金に比べ様々な軽減措置があるため、土地や建物を活用した節税が促進され、結局日本の破たんした財政が、不動産市場を支えている有り様だ。