明治維新以降の日本の歴史を「脱地主」という見方で振り返れば、昭和の敗戦までの前半は地主の役割を社会と会社に引き継ぎ、それ以降の後半は土地所有を民主化することで地主の自覚を消し去り、見事に脱地主が実現したかに思えたが、5年前ころから空き家問題が顕在化し、土地所有者の責任が問われるようになってしまった。そこで私は、本来地主が果たしてきた役割の喪失が、空き家問題という副作用をもたらしたのではないかと仮説を立て、「脱地主革命」という言葉を作ってみた。だが、後から作った言葉で歴史を振り返るのは、「後出しじゃんけん」のようなもの。いまさらその成功や失敗を論じたところで何の意味もないと思う。だが、たとえ後付けでも、目的を定めた後はその成否を論じることができるようになるはずだ。だから私はこれからの未来の成功を論じるために、あえて現状を失敗とするような「脱地主」という目的を見出した。

 

そこで次の作業は、「脱地主」の内容を進化させること。これまでの脱地主は、地主の役割を社会と会社に引き継ぎ、売却や相続によって継承できないようにしてきただけだが、そのプロセスで肝心な役割が欠落し、誰も引き継がずに来てしまったと思われる。その役割とは、簡単に言えば「自立・独立・サバイバル」のようなもの。地主の時代を1000年以上も続けてきた力があれば、空き家の発生や地域の衰退に立ち向かうことができるのではないかと私は思う。だが、脱地主の取り組みが始まってからすで100年以上が経過した。この100年の変化は、地主の時代の1000年にも値する、いやそれ以上の変化かも知れない。したがって、明治維新前に戻ることは不可能だし、戻りたいわけでもない。そこでこれからの地主の役割をイメージするために、現時点での地主のちからを再確認したい。地主のちからとは「地(土地)」と「主(所有者)」のちからに分けられる。まず本項では、土地についての考察をしてみたい。

 

地主の時代と現代では、世界の様相はまるで異なる。そもそも江戸時代の日本人は地球のことを知らなかったし、日本のことすら知らなかったかもしれない。エネルギーも食料も全て自給自足だったことを考えれば、現在の知識や技術など想像もつかなかったはずだ。その一方で、私たちの土地利用に対するイメージはとても貧しい。確かに劇的な進歩を遂げてはいるが、決して満足の行く夢のような世界にはなっていない。グラフは、1980年から2010年にかけて民有地の地目(ちもく)別面積の推移に自治体数の推移を加えたものだ。ここで驚くべきことは、自治体数がこれほど減少し社会の体制が変化しているというのに、土地利用の内訳は基本的に変化せず、宅地が少し増えた程度にとどまっている点だ。先ほども述べた通り、この100年間の社会変化は人類の歴史上でも稀に見る激変だったはずなのに、土地利用にこの程度の変化しかないということは、まだ手付かずの状態にあると言っても過言ではないと思う。

さらに言うならば、現状の土地相続では名寄せと呼ばれるリストに基づき、登記簿謄本や固定資産評価証明などが必要となるだけで、土地の現状はおろか所在地の確認すら行われない。これでは土地の利用などできるはずも無く、まずは土地の現状を把握して、土地利用に必要な情報を整備する必要がある。そこでまず、土地について以下の3つの視点で考えることを提案する。そのためにも、土地に関して包括的に学ぶことができる「土地資源学」的な学問が確立されることを願いながら、大胆に3項目をまとめてみた。

  • まず第1は「資源としての土地」。土地は地球であるということから考えることで、具体的な利用に活かせる知識をまとめる。
  • そして第2は「世界としての土地」。土地は世界であるということから考えることで、土地の説明や認識の方法をまとめる。
  • そして第3は「空間としての土地」。土地は3次元空間であるということから考えることで、土地の比較や評価の方法をまとめる。

地主が土地の支配者なら、土地に関して何でも学び、その知識を自在な活用に活かすべきだ。本書がきっかけになって、土地利用に取り組む人々の交流が生まれ、土地利用の手法を体系的に学び実践できるようになりたいものだ。