土地を要素と考えることは、世界(全体)が土地で出来ていると考えること。世界が持っている様々な意味は、その要素である土地の意味を考えるヒントになるということだ。一番わかりやすい全体は地球だとすると、地球は全部土地で出来ていることになる。海は人が住めないので土地から除外したが、考えてみると土地は人間だけのものではないのだから、魚たちが暮らす土地だとも考えられる。だがそう考えると、これからは人間だって海中を利用できるようになるかもしれない。日本の国土面積は、約37.8万平方キロメートルで世界第60位だが、日本の領海・排他的経済水域(EEZ)は約447万平方キロメートルとなっており、世界第6位だといわれている。その領域内で、すでに豊富なエネルギー資源や鉱物資源の存在が確認されており、すでに海底資源の探査は活発化しているようだ。要素から世界をイメージするとは、こういうことを指す。

 

一方、日本の土地と言えば、まず初めに一軒家をイメージするが、大都会の中に一軒家の住宅街が存在するまちは世界では珍しい。江戸のまちは当時人口100万人を擁する世界最大の都市だったと言われるが、建物は木造2階建てが標準だった。先日テレビで「江戸時代は巨大火災を繰り返しながら江戸のまちは進化を遂げた」という内容の番組を見たが、もしかすると火災以外にも地震や洪水などの天災を何度も被りながら、日本の都市は現在に至ったとも言える。だからこそ、戦後の復興もやり遂げたなどと短絡的なことは言えないが、日本の要素である限り、土地や建物には復興を繰り返した歴史があっただろう。

 

だが、明治維新以後、更なる都市集中が始まって、東京圏は3000万人を超える世界最大の都市圏となった。アパートやマンションなどによる住宅の高層化や、狭小敷地に建つ建売住宅は今や海外から芸術作品とまで揶揄されるほどだ。しかしお尻を洗う洗浄便座や、AIを組み込んだ家電製品など、生活環境の快適性を追求する執着心に関しては、世界を引き離してリードを続けているだろう。こうした技術革新や新規性を好むのは日本人の気質なのか、住宅においてもマーケットは新築中心で、中古住宅の価値は驚くほど低い。建物の耐用年数に関しては、日本より耐久性が優れているとは思えないアメリカの住宅が98年、イギリスに至っては140年とされている。

 

あえて日本の住宅が持つ性格を論じてみたのは、こうした住宅が作り出す全体像は、どんな社会になるのだろうと思うからだ。古いものを大切にせずスクラップアンドビルドを繰り返す国づくりをけしからんというのは簡単だが、幾多の災害を乗り越えて、チャレンジを繰り返してきた歴史を振り返ると、こうした変化を繰り返す未来を受入れるべきにも思える。いやむしろ、昔から変化を繰り返してきたと仮定すれば、今に残る伝統や文化の柔軟性にこそ着目すべきかもしれない。僕自身、建築を学び建設会社を経営していたのに、今や建築を捨て、仕事・家族・地域の構築にシフトしたこと自体、自ら変化している証拠だ。

 

そこで、土地という要素を作る時には、それがどのような全体を作り出すかを考えて欲しい。今、かつての大型の住宅が相続を経て売却され、マンションや建売住宅にされている。こうした変化が繰り返され、街中がマンションや小型の住宅街になったとき、そこはどういう街になるのだろうと。それは作る人よりもむしろ買う人に言いたい。あなたの家と同じような家が街中に立てば、そこはいい街になるだろうかと。もしも、そうは思わずに、自分だけならこんな家でも許して欲しいなどと思うなら、それは自分の家を全体の要素と考えていない証拠だ。

 

その逆に、自分の土地や居場所から、それが何を形成する要素なのかを考えることもできる。例えばあなたの家は、道路に囲まれた一街区の中の1区画かも知れない。あなたの家は道路に面した門から入り、庭に囲まれた家が建っているとすると、同様の家が立ち並んで1つの街区が構成され、家並みというか街並みができている。これは荒野の中にぽつんと建つ「一軒家」ではなく、むしろ街並みを形成するユニットだ。田園調布のようにゆったりとした邸宅街と、昔の街道沿いに残る通りに面して連続する宿場町では、個々の家づくりや土地の区画が全く異なる。土地という要素は、その繰り返しや集まり方で、まったく異なる全体を作り出す。

 

たとえどんなに小さくても、要素にはそこに全体の特徴が現れる。逆に言えば、京都の町に立つ家がすべて京都風でなければ、そこは京都ではなくなってしまうので、要素にはそれが属する全体の特徴を持つ必要がある。だからこそ、京都に立つ家は、どんなに小さくても京都風でなければならないし、むしろ巨大な要素ほど、この特徴を併せ持つことが必要だ。だが、京都風とは何かといえば、個々の要素が持つ特徴のことだろう。もちろん全体の中には、住宅街の中に突然現れるレストランのような異質な要素もあるが、いずれにせよ、すでにあるイメージをヒントにして全体に寄与する要素を作らなければ、やがて地域の特徴は失われ、せっかく異質で目立った要素も埋没してしまうだろう。結局要素の価値は、全体との関係で決まるということだ。