空き家を生まない社会を目指して

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「空き家を生まない社会を目指して」という言葉は、僕が設立した[日本土地資源協会]という団体のミッションをわかりやすく表現するために思いついた言葉だが、実はこれには元ネタがある。

それは、株式会社ワーク ・ライフバランスのK社長の言葉「残業の無い社会を目指して」という言葉だ。

ワークライフバランスとは、元来家庭を顧みない働き方や働かせ方に対し警鐘を鳴らす言葉として登場し、どちらかといえばワーク(会社)に偏重した生活スタイルをライフ(家庭)側にシフトする意味合いを持っていた。

ビジネスの形としては、企業の福利厚生面でのサポートからそのCSR的な側面へ浸透させると同時に、地域社会や行政へも働きかけながら社会動向として位置付けられるようになっていったと記憶している。

ところが一昨年、あるテレビ番組で久しぶりにK社長が話しているのを聞いて、僕は衝撃を受けた。

彼女の話はもはや福利厚生から事業の生産性へとシフトし、「だらだら残業している社員こそが会社のお荷物で、てきぱきと働き家庭と両立している社員の生産性が高いことは先進諸国の常識だ!」と熱弁をふるう。

会社で会議ばかりしてる人はマーケットの実態を知らず空論に明け暮れているが、さっさと退社して家庭や友人と[顧客としての時間]を過ごす人は、顧客のニーズを自ら感じ取り新たなマーケットを創出する。

その上残業族は高齢でコストも高い上、残業手当は25%割増だ。

こうした役立たずのせめて残業をカットして、ランスの取れた若者を雇用することこそが生産性向上に直結するというわけだ。

僕はこの[論理の進化]の感動した。

結局彼女は、当初の目的から全くぶれることなく、そのターゲットを大企業の福利厚生担当課長から、あらゆる企業の経営・人事トップへとシフトした訳だ。

彼女の目的は残業をなくすことではないが、目的が実現したその時には、確かに残業はなくなっているに違いない。

僕のやりたい事業を正確に表現すると、[民間土地資源の活用による永続経済創出へのチャレンジ]なんて感じになると思う。

バブル崩壊後の失われた20年とか言われる超低金利時代から、脱出できずに破たんへと突き進む日本政府とその取り巻き経済は、先立つおカネが無ければ何もできない弱虫になり果てている。

しかし、かつての日本がそうだったように、今元気の良い諸外国の人々は我々よりずっと貧しいのに、身の回りにあるものをフル活用して世界の舞台で役を演じはじめている。

もしもこの暗いトンネルを抜け出すことができたなら、その時僕たちは[金持ち]ではなく[知恵者]になって世界と向き合いたい。

僕らに与えられた素晴らしい自然、整備されたインフラ、細やかな文化、平和な社会をこの目で見たいという世界の人々を至る所でもてなしたい。

そしてその時僕らのまちには、活用できずに放置・放棄されている[空き家]など、あるはずはないと僕は思う。

この言葉に魅かれて、僕がやろうとしていることを手伝ってくれる人が来てくれたら、それは嬉しいことだけど、もっと嬉しいのはこの言葉に魅かれて僕と違うことをする人たちが現れること。

Kさんの「残業の無い社会」に触発されて僕が動いたのと同じに、「空き家を生まない社会」で誰かが動き出すのを、ドキドキしながら眺めてる。