世界の地主(第2章)

地主の学校開設に向けて、土地の所有権に関する勉強をしている。第3章で「地主の役割」を論じるために、第2章の「世界の地主」では様々な事例を参照しようと考えているのだが、これを調べるうちにとんでもない現実が見えてきた。それは、個人の土地所有権を認めている国がそもそも少ししかない上に、それを外国人でも自由に取得できる国などほとんどないらしい。だが、それらを確認できる文献や資料を見つけるのは容易ではない。世界の土地所有や地主に関する記述をネットで探そうとしても、見つかるのはせいぜい海外不動産投資の解説記事や識者のブログ程度で、「世界各国の土地所有形態の比較」など見つからない。だが「見つからない」ということは、その情報を見たい人と見せたい人が余りいないということだろう。だからこそ、僕は地主の学校を作らなければならないと思い立ったんだ。

いかんいかん、本題に戻ろう。ある人のブログによると、農地以外の土地や建物を外国人でも自由に購入できるのは、日本、米国、ニュージーランド、フランス、ドイツ、英国、アイルランド、イタリア、スペインなど10か国に満たないという。この顔ぶれからすべてを論じることはできないが、いずれもグローバル化した経済先進国であることは間違いない。また別のブログによると、隣国と国境で接する国にとって、国境の土地を売ることは国境線の変更に等しいので、土地の売買を禁ずるのが世界の常識」と書いてあった。これらの記事から容易に想像できるのは、「国境線の無い国」、「国境線を超える国」、「外国人の概念が無い国」などが土地売買に寛容であることだ。昨今日本では、地方の遊休不動産を中国人が買い漁っているとまことしやかに囁かれているが、散々外国の土地を買い漁ってきた日本人がこんなこと言うのはおかしなことではないだろうか。

問題は、日本の国土を金持ちの外国人に大いに買って欲しいのか、それとも売りたくないのか、僕たち自身がどちらを望んでいるかということだ。「そもそも所有者は土地を売るべきではない、何故なら土地を売ったら所有者ではなくなってしまうから。」というのが僕の自論だが、そうはいっても家庭の事情で売らざるを得ない時があるだろう。「土地を誰に売るか」、という問題は「土地をいくらで売るか」という問題と切り離せない。恐らく高い値段で日本人が買いにくれば、安い値段で外国人に売る人はいないだろう。だが問題は、外国人が高い値段で買いに来た時にどうするか。今の日本は、タダでも貰い手のいない土地が増え続け、まさにそんな状態になりつつある。これこそが、地主に突き付けられる問題だ。こんな時、地主はどうすべきかについて考えるのが「地主の役割」であり、こうした問題意識を持って世界を見渡すのが「地主と世界」の目的だ。

世界の大多数の国が、土地の所有権を認めず売買を禁止しているのは、地主のちからではこれを防ぐことができないと考えるからだろう。たとえ国内の隣人に売ったつもりでも、その隣人が外国人と組んでいればそれまでだ。一方で、土地の売買を認める国は、たとえそれが誰であろうと、土地の所有権を流動化し、活発に売買されることを望んでいるからに違いない。先ほどイギリスの土地は誰でも買えると述べたが、正確に言えばイギリスの土地の大部分はリースホールドと言われる「99年間の期限付き所有権」で、中国から租借した香港を99年目の1997年中国に返還したことは記憶に新しい。さらに言うと、イギリス領土の大部分の所有者である貴族や大企業は大貴族から250年間借りていて、その大貴族たちは女王から999年間借りているという。つまり、本当の所有権は全て女王が持っていて、それを売却する気は毛頭ない。これがイギリスにおける地主の役割だ。

では、わが日本はどうだろう。国や自治体が所有する「官有地」以外のほとんどの土地は、個人や法人が所有する民有地で、それらの売買は所有者の自由裁量に任されている。つまり、すべての土地所有者が自分の土地に対し、エリザベス女王と同じ権限を持っている。それなのに、土地をどう利用すべきか、利用できなければどうするか、売るなら誰に売るべきか、、、という議論がなされずに、「利益を上げること」や「高く売ること」だけが論じられてはいないだろうか。我々民間人はビジネスで稼ぐことでしか生きられないので、「利益」を得ることは欠かせないが、それは「呼吸」や「睡眠」をしなければ生きていけないのと同じこと。だが我々は「呼吸」や「睡眠」のために生きているのではないのと同じ意味で、利益を上げるためだけにビジネスをしているわけではない。

地主の役割は、「社会のために地主のちからを使うこと」だと思う。「社会」を「マーケット」と置き換えれば、それはビジネスに直結する。アラブの首長が自分の領地を外国資本に開放することで、砂漠の中に超近代都市を築いたドバイのようなことを日本でできるのは、国や行政ではなく、むしろ民間の地主だということを知って欲しい。日本では、あたかも政府や役所が国づくりを担っていると多くの人が勘違いしているが、実は彼らの役割は道路や公園などのインフラ整備と、市民の自由がぶつからないための調整役であり、すべてを決める主権者は一般国民だ。森友問題も大事だが、僕たち国民はそんな雑用は彼らに任せ、自分の国を作る役割があることを忘れてはならない。「地主の学校」は、地主の皆さんだけでなく、地主として国を作ってみたいと願うすべての人と一緒に地主の役割を学び、実行する仕組みにしたい。