脱地主革命とは、明治維新における地租改革や町村大合併など地主の社会的役割を行政に移行し、その後の土地売買の促進などにより、土地を所有する市民から「地主の自覚」を消去したプロセスのことを指す僕の造語だ。江戸時代までの封建社会において、実質的に地域社会と経済の運営を担ってきた地主の抹殺を、「市民の自覚を消去する」という方法で成功させたことは、見事な革命だと僕は思う。だがそのおかげで、土地は見事に商品化されて我が国の発展に絶大な寄与をし、最終的にはバブル崩壊までやらかしてしまった。それ以後の日本社会は、デフレ経済が蔓延し、明るい未来を全く描けない停滞が続いている。そこで僕は、脱地主革命の成功こそが諸悪の根源で、これからむしろ地主を復活させるような逆革命が必要なのではないかと考えた。だが、問題はそれほど単純ではない。封建社会に戻る訳にも行かないし、江戸時代にすら戻れるはずがない。
だがだが、果たしてそうだろうか。本当に地主は地域社会を仕切っていたのか、封建社会の庶民は苦しい生活をしていたのだろうか。
ヨーロッパでは、土地と領民は領主の「持ち物」だったが、日本の藩主は、幕府からその領地の「運営権」を任せられたに過ぎず、藩主が所有しているのは自分の住んでいる家と土地くらいだったらしい。さらに幕府自体も天皇から征夷大将軍という称号を与えられ、日本の運営を任されただけのこと。となると、当然地主はその下っ端で、地域の管理人に過ぎないはずだ。新しい領地を与えられた藩は、武力を持ってその新しい任地の運営にあたり、領地換えどころか、お取り潰しまであったのだから、廃藩置県の命令が中央政府から来たときに、抵抗もせずに領地を返上したのも頷ける。だからこそ、明治維新は「大政奉還」からスタートした世界でも類のない無血革命だ。もしも、西洋のように領地と領民をワンセットで「所有」していたら、自分の財産を簡単に手放すはずがないだろう。
また、1820年から9年間、出島のオランダ商館に勤務したフィッセルの著作には、次のような記述がある。「日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像されている。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。」、「自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している。」、「日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。」。
僕が一番衝撃を受けたのは「日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。」というくだりだ。ここだけ読めば、今の日本よりずっとマシだ。僕らにだって、そういう日本を作れないだろうか。そこで先ほど「明るい未来を全く描けない停滞」とぼやいたことを思い出した。もしも明るい未来が「みんなが金持ちになること」だとしたら、そんなこと実現するはずがないが、「貧乏人が存在しない」ならすでに江戸時代に実現していたのかもしれない。みんなが金持ちになれないのは、景気が悪いからではなく、金持ちが周囲の人よりカネを持っている人を意味するからだ。みんなが金持ちになったら、それは誰も金持ちで無いことと同じこと。まさか、「日本人だけが金持ちになりたい」とは言えないだろうから。
考えてみれば、明治維新の目的はあくまで西洋諸国の侵略に対抗することであり、封建社会を見主化したい訳では無かった。むしろ、不平等条約を改正するために西洋諸国から文明国の証として民主化を求められ、見かけ上の民主化を急いだ経緯がある。こうして日本国民は、成功し金持ちになることを奨励され、貧乏人がいなくなることなど二の次で、個人の幸福追求が優先したのかもしれない。そしてその名残は、現代にも感じられる。例えば、老人の福祉施設や子育て支援にとどまらず、障害者やLGBTなど社会福祉の範囲は広がる一方だが、どれも先着順や有料制で、無条件に全員をカバーするわけではない。「貧乏人が存在しない」とは全員対象だからこそ、税金を使っても構わない。定員制とか受益者負担などと言う制度は、単なる割引サービスであり、夢にも福祉とは呼べない。
そこで僕は、土地を使って日本の最低に挑もうと思う。余った土地を売るのは、個人の幸福追求だから、それを妨げるべきではないけれど、もしもその土地が売れないのにいつまでも放置するなら、それはみんなの不幸につながる。買い手が現れるまでの間でいいからその土地を自由に使えれば、日本から土地を使えない人はいなくなる。そうすれば、「自由に使える土地が無いような貧乏人」はこの国からいなくなるじゃないか。そして、土地が使われるようになれば、その中から土地の借り手や買い手が現れるかもしれない。そうすれば、結果的に地主は幸せになれると思う。自分がより幸せになるためには、みんなの幸せレベルを上げる必要がある。みんなの幸せレベルとは、最低の幸せのことであり、孤立した人や支援を受けられない人の幸せのことだ。こうした最低の幸せを少しでも良くすることが、最高の最低を目指すことだ。