地主の学校の執筆に苦戦している。
はじめは僕自身の取り組みを紹介するためくらいの軽い気持ちで取り掛かったのだが、書き進むにつれて考えさせられる課題とぶつかり、その答えを見つけて書き加えているうちに、当初思っていたものとは少し違うものになってしまった。
でも、思考というのは不思議なもので、ひとたび広がってしまうと、もう二度と折りたたんで元に戻すことはできない。
その上、思考の広がる瞬間とは、この上なく気持ちの良いものなので、やめられない。
つまり、本の執筆からすぐに脱線して新たな思考を楽しんでしまう。
だが、こんなことをしているといつまでたっても本は仕上がらないので、本の題名は「地主の学校」から変更せず、急いでまとめたいと思う。だがだが、思考の広がりも止められない。
そこで僕は、このブログを書く。
今日書きたいことは、「財産と権利」についての考察だ。
僕は今、土地という財産をお金で売買するのでなく、無償で譲渡することによって後継者を育成し、貴重な土地を余らせている社会を変えたいと思っている。
だが、多くの人にとって土地を無償で譲渡することは理解しがたいようで、なかなかスッキリ説明できずにいた。
僕は、この土地問題に取り組むため、最初に日本土地資源協会を立ち上げ、土地を「資産」から「資源」に変えようと唱えてきたのだが、これはなかなかスローガンの域を越えられず、納得のいく説明ができていなかった。
ちなみにここで言う納得とは、僕自身の納得のこと。
たとえ聞く人が納得しても、僕自身が納得できなければ、相手の納得も信用できない。
だが、ようやくこの問題が解けてきた。
土地は財産と資源でなく、財産と権利に分ける必要がある。
「財産権」という言葉は、所有権をはじめとする物権のほか、債権、社員権、さらに著作権や特許権などの無体財産権(知的財産権)、鉱業権や漁業権などの 特別法上の権利を含む総称だ。
確かにこれらは、全て売買が可能だ。
だが一方で、「財産」とは「物事の売買可能な側面」を取り扱う言葉に過ぎない。
したがって、ほとんどの人がこの側面を利用して売買を目的にしているかもしれないが、すべての権利の本来の目的は売買ではない。
例えば、所有権は所有が目的だし、著作権は著作物の支配が目的だ。
これらすべてを財産として売買することは、優れた人間の発明だとは思うが、その魅力にのめり込んで本来の目的を忘れることは恐ろしいことだ。
土地の処分と言えば「売却」と思い込んでいる人が多いが、それをいうなら「譲渡」のはず。
つまり、土地の所有権を手放すのにお金をもらうかどうかは関係ない。
だが、このことを説明するのがとても難しい。
そこで僕が思いついたのは、土地を売買用の資産と所有用の資源に分けるという方法だ。
売買用の資産は常に不動産マーケットで価格が評価され、いつでも売買できるようにし、所有用の土地資源は永続所有を原則として不動産マーケットには出さず、商品でなく地域社会そのものの価値を担って地域の不動産商品の価値向上に貢献する。
永久に売却しない土地ならば、その価格など意味を持たず、売却できない所有権なら無償で譲渡しても問題は無い。
それは、会社の社長がその地位を無償で継承するのと同じことだと僕が説明すれば、皆さんはなるほどと言ってくれた。
だがそれでは、僕自身が納得できない。
それは、所有と経営の分離であり、会社は株主が所有していて社長はタダの管理人だと言っているにすぎず、土地の所有者が所有権をタダで譲る説明はできずにいた。
でも、「財産と権利」がこの疑問に見事にこたえてくれる。
所有権を財産権と支配権に分けて、財産権を放棄した支配権を定義すればいいと思う。
僕が引き継ぎたいのは財産権でなく支配権であり、地主とはまさに土地の支配者のことなんだ。
てなわけで、ようやく僕は所有者と地主の違いを明確にできた。
これでやっと地主の学校の執筆が再開できるし、できればこのまま書き上げたい。
次の面白い疑問に出会わないことを祈り、でもちょっとだけ新たな疑問に期待しつつ。