市場価格のうそ

土地資源の話ばかりしていると、ピンとこない人のために、今日はおカネの話をしたいと思います。私は経済学を学んだことも学ぼうとしたこともないので、素人の意見にすぎませんが、実感と経験でお話します。

昔のおカネは「本位制」と言って、「金」などの「もとになる価値」があり、でもみんなが金塊を持ち歩くのは面倒なので、その代わりに紙幣を使っていました。世界戦争や恐慌などでこれが立ち行かなくなることが幾度もありましたが、それでも立ち直ると世界の国々は金本位制に立ち戻りました。やがて経済は拡大し、国際化し、その絶対量が足りなくなり、世界は管理通貨制度に移行していきました。日本も1988年に本位制と決別し、日銀がおカネの量を調節するようになりました。

本位制でなくなるということは、おカネをいくらでも印刷できるということです。先般も、日銀が80兆円を市場に供給すると発表し、一気に株価が上昇しましたが、円の流通高(実際に使われているおカネの量)は2009年3月末現在において現金ベースで81兆4,215億円とのことなので、これがいかにとんでもない数字かわかります。おカネで土地や債券、芸術品などを買うと、買った物の価値はその金額になり、払ったおカネはまた使われます。財産を担保におカネを借りてまた買い物をすると、また財産ができてそのおカネがまた使われます。こうしておカネは、何度も何度も使われて、財産は膨らんでいきます。今の日本は、こうした財産を持つおカネ持ちであふれています。

ところが、これらの財産は売られることはありません。売って儲けても、多額の税金を取られるだけのこと。それと何より、売りに出せば値段が下がってしまいます。逆に、買いたい人がいても簡単に売らなければ値段は上がっていきます。なので、買ったものは売らずに値段を上げ、それを担保におカネを借りて、また買う・・・というのが資産家たちのやり方です。つまり、おカネは有り余っているけれど、使わないから価値がある・・・という変な状況になっています。こういう財産を「資産」といいます。

さて、いよいよ今日の本題「市場価格」について考えましょう。市場価格とは、実際に売れた値段で全体の値段を決めること。たとえば、ジャガイモが1個10円で売れたら、世界中のじゃがいもが1個10円だという考え方です。先般アップル社の株が「時価総額で世界1になった」とニュースになっていましたが、これは実際の売買価格ですべての株を売ったとすれば、世界1になるという話です。でも考えてみてください。アップルの株が高いのは、買いたい人が大勢いるのに売る人がほとんどいないからです。もしもアップルの株主の1割が売りに出したら、アップル株は大暴落するに違いありません。これが市場価格のトリックです。資本主義とは、こうした多くのトリックでできています。確かにおカネ持ちはたくさんいて、おカネは有り余っているんです。でも、それを使わないからおカネの値打ちが維持されていて、おカネが放出され、今の2倍が出回れば、その値打ちが半分になるだけのこと。これが真実です。

はじめに本位制の話をしましたが、昔はおカネの量が決まっていて、その価値には裏付け(例えば金)がありました。おカネの量に限りがあったので、おカネ持ちが実際に持っていたのはおカネではなく、領土や権力、財宝など、価値を生み出す資源でした。そして金の代わりに使われていた紙幣だって、限りある資源として流通していました。資源とは、それ自身はタダですが、それを使うことで価値を生みます。石油はもともとタダですが、それを燃やしたり加工することで価値を生みます。マグロだって釣る時はタダですが、それを食べることで価値となります。おカネだって、それ自体何の価値もありませんが、使うことで価値を生みます。これを私は「資源」と呼んでいるわけです。これに対して、資産は使わないことで価値となります。貯金は使わないから価値があり、株は売らないから価値があります。つまり人々は、いつの間にか「使えないものを買わされている」ということになり、「おカネ持ちとは使えないおカネを山ほど持っている人」ということになるんです。

「誰かが売り買いした値段」で、「売り買いすることのない自分の財産の値段」を決めるのが、市場価格とか相場価格の正体だと私は思います。みんなが夢見るおカネ持ちには、一部の人しかなれないし、なったとしてもそのおカネは使えません。金持ちになることを目指すのは自由ですが、私はそんなものには興味がありません。おカネを使って何をするのかが問題です。そしてそれは本当におカネが無いと買えないのか?。もしもおカネが無くてもできてしまうのなら、そこにおカネは必要ありません。税金とか、金利とか、お金のトリックに振り回される以前に、直接必要なものを取りに行く、そんな「ハンター(狩人)」に私はなりたいと思います。