原発と空き家がよく似ていることに気が付いた。共通点は、終わり方が判らないこと。原発の終わり方とは、放射性廃棄物の処理や原子炉の解体技術のこと。老朽化で運転を終える原子力発電所の廃炉処置の困難さに加えて、二酸化炭素排出削減策として、既存の原子力発電所の延命方針が打ち出されたが、わずか1ヵ月後の2011年3月11日に東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が発生し、放射能汚染を東北・関東地方に及ぼしているのはご承知の通りだ。当然のことながら原子力発電所の増設計画や、停止した原子力発電所の再稼働の是非などが焦点となり、国民の高い関心を集めてはいるが、依然として原発の再稼働や国外輸出などが止まる気配はない。一方、空き家の終わり方とは、建築全般の終わり方のこと。住宅やマンションを購入する人の大部分が、その使用年数や解体について何の計画も持っていないことが、今問題になりつつある。
空き家とは、「使えるのに使われていない建物」を指す言葉で、「使えない建物」のことではない。現在800万戸以上あるとされる空き家の半分以上は賃貸住宅の空き室を指していて、残りの空き家はいわゆる自宅だが、そこには別荘などの一時利用の住宅や売却用に空けてある住宅も含まれる一方、世間で問題になっている危険で不潔な「廃屋」は含まれていない。つまり空き家とは、「自宅から家族がいなくなること」なので、すべての住宅はいつかは空き家になる。もしも空き家にならない家があるとすれば、そこには永遠に家族が住み続けるはずだ。人は必ずいつかは死ぬので、親が亡くなればその子供、そして孫が引き継いでいくことが容易に想像できる。確かに昔の家族はそうだったかもしれないが、あなたの家族はどうだろう。
実家を出て家を買う人が、将来その家を子どもに譲って実家に戻るとか、永続的な計画を立てることもあるかも知れないが、そんな予定通りに行くとは限らない。子供が近所に就職するとは限らないし、一人娘がお嫁に行ってしまうかも知れない。そもそも実家の親だってその人が出ていくことを想定していたとは限らない。家族の同居は永続せず、いつかは出ていくと考えなければならないだろう。あなたが買った家も、いつかは家族が減って部屋が余ることになる。そして最後に残った人が、子どもに引き取られたり、施設に入ったり、亡くなったりすれば、その家は間違いなく空き家になる。
こうしてすべての家は空き家になる。誰かに賃貸すれば家賃収入を得られるが、先ほど述べた通り空き家の過半数は賃貸の空き室だ。日本の人口は減っているので、空き室を減らすのは不可能だ。すでに住宅の相続においても、居住せずに売却し現金にして分配する事例が増えているが、小さな家なら転売され、大きな家なら小さな家に分譲される。今、住宅ローンで家を買うのは20代が一番多いそうだが、彼らは家を所有したいからではなく、家賃よりローン返済の方が楽だから買うそうだ。日本は異常な低金利なので、住宅ローンも楽になる。まとまったお金があれば、銀行に預けても利息が付かないので、マンションを買って賃貸をした方がまだましだ。そんな理由で投資用のマンションも売れている。家が増えれば、それだけ空き家も増えることになる。
空き家は使える家なので、誰かが使ってくれればいいが、人が減り、家が増えればそれも難しくなってくるだろう。ところが家の終わり方は原発と同じにわからない。「売ればいい」と誰もが思っているだろうが、地方ではタダでも貰い手が減っているし、捨てる訳にも行かない。マンションは、売るのがさらに難しい上に、建物はどんどん傷んでいく。長期修繕計画に基づいて積み立てをしているが、それも30年程度の計画で、それ以降はわからない。解体するにも、建て替えるにも相当な費用がかかるし、居住者の合意も必要だ。本来、解体して更地に戻すところまで計画しておかなければ、原発と同じ見切り発車の計画と言われても仕方ない。
原発問題に立ち向かうには、あえて原発が生まれる以前に戻り、「終わりのない原発建設」以外の発展の選択肢を模索する必要がある。それは「節電技術」や「再生可能エネルギー」かも知れないが、とにかく現状を否定することが革新だと思う。
空き家問題に立ち向かうには、空き家が生まれる以前に戻り、「終わりのない住宅購入」とは違う発展の道を模索する必要がある。それは、土地ビジネス、家族コミュニティ、地域ネットワークなどの創出かも知れないが、とにかく現状を否定することから始めたい。
原発問題と同じ、革新を起こすために。