先日、六日町の老朽旅館を見に行ったついでに、十日町に立ち寄った。建築家青木淳氏の十日町「分室」が「ブンシツ」というプロジェクトになったことは以前ご紹介したが、今般その第1期が「分じろう」として竣工したというので、早速現地に行ってみた。まだ開店準備中だったが、これから「ブンシツ」のメンバーがここで暴れるのかと想像するうちに、僕も「SHO-KEI-KAN展」に挑む勇気がわいてきた。笑恵館の立ち上げ時に、成瀬康子さんが提案してくれたこの名称には、あえて「SHO-KEI-KAN」と名乗ることで、「笑恵館」そのものでなくそこから生まれる「新たな概念」を伝えたいという思いが込められている。たかが名前にすぎないが、されど名前は重要だ。昆虫が変態しながら成長するのと同じく、「笑恵館」という青虫が「SHO-KEI-KAN」というさなぎとなり、そこからどんな蝶をふ化させるのか・・・僕はこの展示に、そんな重大な使命を課している。
実は、十日町を訪ねた5月1日時点で、まだ展示内容は白紙のままだった。第1回目は笑恵館の開業までの経緯を、第2回目は笑恵館の1年間の実績を紹介し、今回は笑恵館に続く次の展開を紹介する予定だったのだが、そのプロジェクトが成年後見という言わば「資源の塩漬け」的な状態に陥り、「新たな資源活用」の断念を4月に決断をしたばかりだった。しかしこの挫折は、さなぎにとってどんな意味を持つのかと、僕は「分じろう」を見て頭を切り替えた。そして思い至った結論は、「所有権の重要性」という問題だった。そもそも成年後見とは「その意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する」ための制度だ。だから、資産の保全どころか、所有権の積極的行使など夢にもおぼつかず、適正価格での賃貸や売却が関の山だ。
しかしこれは、致し方のないことだと僕も思う。たまたま家族が後見人となったため、歯がゆい思いをすることとなったが、もしも後見人となった赤の他人が「良かれと思って土地を活かそうと思いました」などと勝手なことを始めたら、それは由々しき問題だ。つまり、僕が求める「所有権」とはあくまで本人が行使する「万能の所有権」であって、これを白紙委任することはあってはならない。これを部分的に委任するのが後見制度であり、それに対応できるのは従来型の限定的な不動産事業である・・・まさにこれが「現状」だ。しかし僕が挑むのは、この現状から脱却すること。したがって、現状の枠組みの中で運用される「成年後見」が適用された資源については、その継承者が「万能の所有権」を行使できるようになるまで待たなければならないと判断した。
結局「成年後見」という壁に行き当たることが、「所有権の質」の問題を考えるきっかけとなったわけだ。そして、僕が求めていたものは「所有権の万能性」なのではないかという疑問に到達し、SHO-KEI-KAN展Ⅲでは、この課題について問題を提起する展示を試みた。僕はよく、「笑恵館で何をするかを決めるのは、安倍総理大事でなく田名夢子さんだ」と、笑恵館を訪れる人に説明する。自分の家をどうするのかは自分で決めるしかないけれど、それを負担と思わず相談してほしい。所有権という権利は、いくらでも人と分かち合える権利だから。現にこの地球は、すべての命にとって「自分の星」なのだから。