現代の土地所有者に「あなたは地主ですか?」と尋ねると、ほとんどの人がNOという。それは多くの場合、自分の土地が先祖代々引き継いできた土地ではなく、購入した土地だからだ。先祖から引き継ぐとは、具体的には親から相続することなので、無償でもらうことを指す。親もその親も、土地はずっと無償で引き継がれてきたのは、そもそも土地は無償の資源だから。マグロも石油もすべての資源は、初めは無償だということを忘れてはならない。だが、「タダより高い物はない」の言葉通り、無償でもらうのは厄介なことだ。譲る側は、誰にどのような条件で譲るかを自由に決められるが、貰う側はそれらを引き受けるしかない。その意味で、継承もせずに地主で無くなる「売却」を行う人は、すでに地主とは言えない。
購入とは引き継ぎの条件を解除するために対価を支払う「地主を引き継がない取引」と言えるだろう。だが、購入したからと言って地主でないとは限らない。たとえ引継いだ地主でなくとも、土地を売らずに所有し続ければ、やがて地主になる。そして、土地は永久だが人には寿命があり、誰かに引き継いで欲しいと願うことになるはずだ。つまり、地主とは土地を誰かに継承しようとする人のことだ。
ところが、継承は簡単にできることではなく、日ごろから準備をしておく必要がある。かつての封建社会では、継承のための家制度が確立し、半ば強制的に家督を継承した。だが、近代化によって人々はその呪縛から逃れ、自由な選択肢を得たのだと思う。だからこそ、現代は「だれに、何を、なぜ継承するか」をあらかじめ提示し、賛同を得る必要がある。自発的選択による継承が実現する仕組みを作らなければ、継承は続かない。
初めにも述べたように、継承は売買に代わる選択肢のこと。土地を譲渡する代わりに対価を得るのでなく、叶えて欲しい願いや条件を具体的にする必要がある。誰に継承したい…という願いは「家族のようなイメージ」かも知れないし、何を継承したい…という願いは「家業や土地活用、地域貢献」かも知れないし、なぜ継承したい…という願いは「実家とか故郷の大切さ」かも知れない。こうした願いが叶うなら、たとえ土地を無償で譲渡しても、確かに惜しくは無いと僕は思う。それは言い換えると、自分の願いを叶えるために相手から対価をもらう訳には行かない…ということになる。だとすれば、相手に願いを叶えてあげたくても、それはお金で買えないことであり、売買では不可能な選択肢となる。
確かに、昔の地主の役割は、封建社会の終焉と共に終わったのかもしれない。だが、土地を介して誰かに思いや営みを継承することは、現代社会そして未来においても必要だ。空き家問題は、個別の住宅の問題かもしれないが、それが周囲に広まれば地域社会が死滅する。社会が豊かになるにつれて空き家が増え続け、後継者がいなくなり田畑が捨てられていくなど、何かが狂っている。家族や家業のしがらみにまみれた故郷を捨てる選択肢を否定する気はないが、永続可能な家族や家業を作り、新たな故郷を作りたいと願う人たちの存在を、僕は忘れられない。地主の学校とは、こうした人たちと共に、永続型の社会を創る新しい地主を育てるプロジェクトだ。まずは「地主の学校を語る会」で、自由に語り合いたい。