夢見るオーナーの会

公益申請に関する内閣府への対応を巡り、悶々とする日々に追い打ちをかけるように風邪をこじらせ、最悪の日々が続く今日この頃。 だが、またしてもつまらないやり取りの中から、問題の核心は明らかになりつつある。 僕が最も説明に苦慮し、誤解を招き、その議論の必要性を疑いつつも譲れないのが「所有権」に関する議論だ。 だが「所有権を賃貸する」という言葉の意味を、今内閣府と議論している場合だろうか。 今はやはり、この問題について、自分の考察を進めたいと思う。

「所有権」は「夢」とリンクしている。 二つの言葉をつなぐのは「の」という言葉。 僕の土地、僕の夢、「の」は所有と帰属をつなぐ言葉だ。 所有は「僕の物」「僕の女」など「我が物にする=自由にする」という意味を持つが、これがまさしく「夢」の概念につながっている。 実際にできるかどうかは別にして、「何でもできると考える自由」が「夢」だとすれば、「何をしてもよい=所有」とはほぼ同義だと言っていい。 つまり、所有権を「何かに対して自由に夢を描き、それを試みる権利」と言い換えてもいいのではないかと僕は思う。

どんなに素敵な夢を描いても、その対象が他人の所有物だと何も手を出すことができない。 つまり所有権は、どんなに恐ろしい他人の夢からも、自分の身を守るための権利ともいえる。 しかし、もしも自分の夢が他人に知れて、その夢を語る人が現れた時、自分の夢をかなえてくれる人を拒む理由は見当たらない。 そんな人を僕たちは、味方と判断する。

所有者=オーナーには明らかに2種類の人がいる。高く売却する夢を見る人とそうでない人だ。 売却すれば所有者でなくなるのだから、その夢は終りのある夢。 一方、売却を考えずいつまでも続く夢を見る人は、自分が所有者でなくなった後も続く夢を見ることになる。 つまり、その人の夢が叶うとき、その人自身がオーナーである必要が無い。 【夢見るオーナー】とは、そんな人のことを指す。

自分がいなくなった後のことを夢見る人には、その夢をかなえるための仲間や後継者との出会いが必要だが、 そのためには自分の夢を公開し、説明し、相手の夢との折り合いを確認しなければならない。 しかし、これは意外と難しい。そもそも自分の夢を語ることのできる人はめったにいない。 なぜなら、僕たちは日頃そんなことはしたことが無いし、その必要を感じることもめったにないから。 だが、仲間を募り、後継者を育てようと思ったら、この核心を避けては通れない。

ここで言うオーナーとは、何を所有していても構わない。 それが土地だろうと、会社だろうと、知識であろうと、夢であろうと。【夢見るオーナー】が集まって、互いの夢を語り合うことで、自分の夢を明確にすることが目的だ。 過去の夢、現在の夢、未来の夢そしてその先の夢を発信することで、 「自分だけの夢」が「自分発の夢」になり、やがて「みんなの夢」となったとき、その「みんな」がその夢を実現させるだろう。

オーナーが見なければ、夢は実現しない。

【夢見るオーナーの会】は、夢を実現するための「超現実的プロジェクト」であることを確信する。