みんなで地主?

今「LR(日本土地資源協会)」のサイトをリニューアルしているのだが、4年前に掲げた「みんなで地主」というキャッチコピーをどうしようか迷っている。
そもそもテレビCMで見かけた「みんなで大家さん」に触発されて思いついた言葉なので、当初から批判的な意見も頂戴していたが、それも一つの「関心」と捉え、僕はこの言葉を採用した。
この言葉はまた、「地主でない人も地主になろう」という意味に加えて「地主の方たちも孤立せず仲間を作ろう」という呼びかけでもある。
先月つLRの定款を変更し、多数の土地資源活用を自律的に継続する仕組みに移行したのは、まさにこの呼びかけの結実だ。
今後はこの流れをさらに加速して、土地を所有する人もしない人も地主を目指す全ての人に呼び掛けたい、
ん?、やはり文章にしてみると、絡んだ糸が解きほぐされていく気がする。
申し訳ないが、今日は僕の模索に、もう少しお付き合い願いたい。
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岐路を進む

2012年に創業した日本土地資源協会(LR)が、今、岐路に差し掛かっている。
いや正確に言うと、いいかげんに停滞を辞め、前進を再開すべき時が来ている。
すでに、停滞の原因やその排除法について、議論は尽くされている。
今必要なのは、踏ん切りと言うか、ひと押しと言うか、いつも僕がやっていることだと判っている。
そこで今日は、良い訳せず、この作業を進めたい。
ざっくり「これまで」を振り返り、「これから」を宣言したい。
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みんなで地主

地主は明治維新で廃止され、言葉だけが名残として残っている。「土地所有」という言葉が、明治維新の前後では全く違う意味なので、「地主≠土地所有者」を説明するのは一苦労だ。日本では、7世紀ごろには豪族たちが地方を支配するようになり、新たに開墾した者に土地所有権が認められる荘園制度が広がった。だが、この「認められる」という言葉が権利を示すことを忘れてはならない。所詮権利とは、支配者が被支配者に与えるもので、昔の所有権とは、「年貢のノルマ」のようなもの。「所有権」を与える領主は「領有権」に基づいて支配しているが、これは力づくで奪い取り、周囲の承認で成り立つ力だ。

年貢を効率よく収奪するには、検地によって領地の収穫量を測る必要があるが、年貢の取り立てを行う地元の豪族などの抵抗にあい、検地は進まなかった。戦国時代になると、国の領主が目まぐるしく入れ替わり、年貢の徴収も混乱したが、やがて北条早雲のような新興勢力が、それまでの既得権益を打ち壊し、検地を実施するようになった。そして、急速に領地を拡大した織田信長が検地を促進したことで、これを引き継いだ豊臣秀吉は全国の検地(太閤検地)に乗り出した。検地とは、農地の面積を計測し、それに見合った年貢を課すことだが、農民出身の秀吉はそれまで土地所有者に課していた年貢を耕作者に課すこととして一元化した。この時すべての農民が実質的な所有者となったのは、民主化というよりは「民従化」と言えるかもしれない。

しかし、耕作者による土地所有制は安泰とは言えなかった。耕作者の能力には格差があり、収量の格差が貧富を生んだ。やがて、年貢を納めるために耕作者間で年貢米の貸し借りが行われるようになり、その担保には土地があてられた。集落ごとに、収量の多い実力者が年貢の取りまとめ役に選ばれるのだが、これが「地主」となった。借りを返すことができない耕作者は、担保の土地を地主に提供し、自分は小作人として耕作を続ける。かつての集落は、水などの資源を共同で調達する「自給自足経済の単位」だったので、地主は経済的に自立する地域社会の経営者となっていった。

やがてペリーの黒船が現れて、外国からの侵略に対抗する帝国づくりが必要となった。そのために、明治維新ではそれまでのコメ経済を貨幣経済に変えるため、「年貢=現物納税」を廃止して「地租=貨幣納税」に切り替えて、地主制を廃止して地方自治体(町村)を整備した。日本社会は物々交換経済から貨幣経済に急速な変化して、それまで価値を生み出す資源だった土地は、一気にそれ自体が換金できる資産になった。その後、敗戦とともに帝国主義を捨て、日本は民主化の道を歩むことになった。だが、肝心の国土復興は不動産ビジネスと土地投機に依存して、国民の顧客化(民客化)が進むばかり。昔の日本は地球の一部=日本列島でできていたが、今の日本は時価総額1,400兆円の不動産と言われている。

しかし、国土の6割以上が山林の日本では、その価値の大部分は平地に集中し、さらに都市圏への集中が進んだため、ごく一部の平野にその価値は集中する。山林や耕作地だけでなく、地方都市までもが経済価値を失い放置や放棄が進んでいる。最近では都市部でも駅周辺の価値が上がり、郊外の空洞化が進んでいる。所詮経済価値とは、その高低差が生み出すもので、格差の拡大は止められない。貧乏人がいてこその金持ちであって、誰もが金持ちになれるはずがない。だから、たとえ全国を東京にしても、何の解決にもならない。ならば、全ての土地を経済価値で測るのでなく、もっと多様な価値観で土地利用をすべきではないだろうか。

みんなで地主とは、新しい土地利用の提案だ。誰か一人が所有するのでなく、仲間がみんなで地主になる「民主化」だ。地主の主は、主従の従でなく、主客の客でもない、当事者本人のこと。主体的にその土地の魅力を高め、幸福を求め、収益も追及する人こそが地主だとおもう。そして、「その人たちによる土地経営の仕組み」を民主国家と呼んでもいいのではないか。それは日本から独立したいのでなく、日本が好きだからこそ主体的に小さな日本を作る取り組みだ。そんな国づくりが、地域独自で自由に行われ、それが日本中に広がれば、この国は素敵な国になれると思う。明治の初頭、全国に自活する集落が7万あったことを思い起こせば、合併を繰り返す役所は電子化・合理化をもっと進め、地方自治は「地主の仲間」で担えばいいと僕は思う。

 

みんなで地主のWEBサイト(日本土地資源協会)

土地資源の定義

土地資源とは、土地資産の対義語として僕が勝手に作った言葉。

土地が土地として使われず、お金のように扱われていることに対する憤りがこの言葉を生み出した。

そのきっかけは、土地を相続せずにそのまま承継できないかという「笑恵館」の願いを叶えるためだった。

そのためには、土地を個人が所有せず、法人が所有すればいいという答えはすぐに見つかった。

そこで僕は、迷わずこの土地資源を法人名にした。

だが、今僕はこの名前に苦しんでいる。

笑恵館を事業化し、そのスキームを普及することを土地資源という言葉で説明するのは難しい。 “土地資源の定義” の続きを読む

新しい目次

先日のブログで「家族制度から社団法人への移行」を提案したところ、「社団法人って何ですか?」という質問をいくつかいただいた。

我ながら、唐突な説明だったと猛反省、今日は社団法人についてもう少し詳しく説明したい。

ここで言う社団法人とは「一般社団法人」のことで、2006年の公益法人制度改革により、「従来の社団法人」に代わって、公益社団法人とともに設けられた法人だ。

設立許可を必要とした「従来の社団法人」とは違い公益の有無は問われず、一定の手続きと登記さえ経れば主務官庁の許可を得るのではなく、規則に準じて誰でも設立することができる。

また設立後も行政からの監督・指導はないし、株式会社などと同じく収益事業や共益事業なども行うことができる。 “新しい目次” の続きを読む

遠く、遠く

このところ、即席ラーメンを生み出す試行錯誤に、僕も毎朝悶々と付き合っていた。

だが今朝の「まんぷく」は、ついにてんぷらから麺を揚げることを思いついた。

久しぶりに気持ちよく番組が終わったので、そのままのんびりテレビを見ていたら、今度は次の番組で流れる歌が僕の頭を掻きまわした。

それは、梶原敬之の「遠く、遠く」という歌で、「遠く遠く離れた街で 元気に暮らせているんだ 大事なのは“変わってくこと” “変わらずにいること”」という部分がのんびりと流れていく。 “遠く、遠く” の続きを読む

「する」と「させる」

ウィキペディアで「土地」を検索すると、次のように書いてある。

・・・・・

土地(とち、英 Land)とは地殻の表層部の内で海や湖沼、河川など恒常的に水に覆われていない地面であり、陸地・大地のことである。

また「土地の事情」、「土地の風俗・風習」などのように特定の地方や地域を示す場合もある。 “「する」と「させる」” の続きを読む

無償で生きられる世界

NHKの朝ドラを見ながら納豆を食べるのが僕の朝のスタイルだ。

9月に終わった「半分青い」では、昔校長を務めた世田谷ものづくり学校が起業の舞台となってびっくりした。

そして、今度の「まんぷく」は日清食品の創業者安藤百福さんの話とあって、今後の展開が今から楽しみだ。 “無償で生きられる世界” の続きを読む

小さな国のお留守番

地主の学校を予定通り8月中に書き終えた。書き終えたと言っても、最後のページまでひとまず書いたというだけで、読み直すと直したいところだらけだが、それでも〆切を守ってとりあえずやり遂げた。そして、引き続き内容を整理し、判りやすく面白くすることや、出版社を探して売り出すことなどやるべきことはたくさんあるが、 “小さな国のお留守番” の続きを読む

依存とサービス

僕は今、毎月5万円の小遣いをもらっているが、ほとんど5万円の貯金をしている。スーパーカブというバイクに乗っていて、これがリッターあたり60キロぐらい走るので、自宅から笑恵館までの往復が電車だと900円位かかるところ、カブだと100円程度で済む。笑恵館には週3日通っているので、電車に乗ったと思えば毎週2400円、月に1万円位が浮いてくる。今の僕は、このお金で暮らしているので、さっきの貯金ができてしまう。いきなりお金の話をしたが、僕は暮らしが充実すればするほどお金がかからなくなってくる。なぜだろうと思い、今日はちょっと考えてみることにした。 “依存とサービス” の続きを読む