昨夜「空き家資源キーパーズ」というタイトルで、新しくできたいわゆる[空き家法]に関する簡単なセミナーを開催し、「そもそも空き家とは、所有権という権利にあぐらをかき、その権利を行使せず[使わない、貸さない、処分しない]状態のこと」という議論をした。

人はなぜ[権利]にあぐらをかいてしまうのか?

それは、「権利の反対が義務」だとすれば、権利=やらなくてもよい、義務=やらなくてはいけない だからではないか…という[僕の意見]を説明した。「若者が選挙権を行使しないのは嘆かわしい」と言われても、「選挙に行かなくてもよい」のではどうしようもない。権利は一体、いつからこんな役立たずになってしまったのだろう、と、僕も常々感じていた。

1時間ほどの話の後、参加者の皆さんから質問や意見を求めると、笑恵館常連のIさんがこんな話をしてくれた。

「[権利]とは英語の[Right]のことで、明治初期に福沢諭吉が翻訳した言葉なのだが、当初は[権理]と表記していた。それが後に[理⇒利]に置き換えられ、今に至るという話を聞いたことがある。[権理]の字を見れば、社会を正しく導こうとする意志がはっきりと感じられるが、[権利]では、自分の利得にしがみつく姿が目に浮かぶ。やはり、言葉の意味は本当に大切だと思う。」

この話は、ググってみるといろんな人が論じていることが判り、有名なエピソードだったことが判った。でも、僕はこれを聞いて、本当に溜飲が下がるというか、とてもすっきりとした気持ちになった。それは「[権理]の字を見れば、社会を正しく導こうとする意志がはっきりと感じられる」という部分だ。これぞIさんの意見=自分の意見だ。そして、僕もこれに[全く同感]したからこそ、すっきりしたに違いない。

僕も最近、似たような体験をしたばかり・・・それは[価値]についてだった。日本の文化財保護法第2条第1項第2号では、演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で、日本国にとって歴史上又は芸術上価値の高いものを、「無形文化財」と定義している。これに対し、第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」の第2条では、「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」と定義している。日本の定義には[価値の高いもの]とあるのに対し、ユネスコの定義では[自己の文化遺産の一部として認めるもの]つまり「自分で認めれば、それ自体が価値」と理解できる。実はこの違いの原因は、[価値]の語源である[value]という言葉だ。研究者の英和中辞典によると、「価値 《★【類語】 worth は知的・精神的・道徳的価値; value は実際的な有用性・重要性からみた価値》」とある。「有用性とか重要性」を「価格や値段」としてしまったところが、権利のケースとよく似ている。どちらも目的を忘れ、損得とか利害と言った方法や結果にとらわれた発想に導かれてしまう恐れを強く感じる。

僕たちは今「豊かさの弊害」と直面している・・・そんな言い方をよく耳にするし、僕自身もそういうことを言っている気がする。しかし、Iさんの指摘は違う可能性・・・僕たちは本当に[豊か]なのか・・・を提示している。google翻訳によると、豊か の同義語、形容詞、

  • でっかい, 大きい, でかい
  • 沢山, 豊満, たくさん, ふんだん
  • 充分, 十分, ふんだん

だそうな。果たしてこの中に、今の豊かさを表す言葉があるだろうか、こうなりたいという豊かさはあるだろうか?

さあ、あなたの意見を聞かせて欲しい!

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