自立と孤立

無縁社会の言葉の通り、孤立する人が増えている。収入を得られずに結婚や扶養を諦める人。収入を得るために仕事を優先し出産や同居を諦める人。その背景には、「個人の自立」を善とする社会の合意が存在する。自立することは大切なことだが、孤立することは恐ろしいことだ。できれば「孤立でない自立」を目指したいと思うのだが、それは可能なのだろうか。自立は他に依存しないで自分独りで立つこと、つまり独立に近い考え方だ。一方孤立とは、他とのつながりや助けの無い状態のこと。結局両者の違いは、他の助けを必要としないか、得られないか・・・に集約される。

自立した老後を送るため、貯金に励む人がいる。お金があれば生活費に困らないし、最後は有料の施設に入ることもできる。たとえ離婚してシングルマザーになったとしても、十分な収入さえあれば子供を保育園に預けて自立することができる。こうしてお金の力で他に依存せずに生きることを「経済的自立」と呼ぶ。しかしこれでは、お金の力で多くを他に依存して生きているにすぎない。他の助けを必要としないとは、有償サービスを含めて他の負担にならないということではないだろうか。

そもそも「経済的自立」という言葉には大きな嘘がある。たとえそれを自立と認めたとしても、実現できるのはごく少数にすぎず、「みんなが目指すべきもの」には到底なり得ないということだ。人口が増加し、経済が成長しているうちはそういう雰囲気を演出することも可能だったかもしれないが、豊かになって働かない人が増え続けている日本は、いまや赤字国債を担保に日銀がお札を印刷しているにすぎない。僕たちは、自立どころか「お金依存によると孤立病」に蝕まれているのではないだろうか。

この病から脱却するために、僕は「お金に換算しない自立」を目指そうと思う。それは、わずかでも他の人を助け、自分も他の助けを求めること。他に助けを求めることは、決して自立を損なうことではない。他に助けられた以上に他を助ければいいではないか・・・と僕は思う。「みんな」とは、不特定多数の「誰も」ではなく、「自分を含んだ僕たち」のこと。助け合う仲間たちが他の助けを必要とせずに自立すれば、そこに孤独の心配はない。「みんなのビル」は、まさに「孤立でない自立」を目指すプロジェクトだと思いませんか。