不動産 vs 無限源

相続税が支払えずに土地を物納したり、相続人がいないため国が土地を引き取ると、道路や公共用地として使用できるものだけ利用して、残りはすべて売却される。国が欲しいのは、必要な公有地とお金だけ。残りは民有地として、民間に競売(払い下げ)となる。当然のことだが、「民有地をどのようにしていくのか」に対し、国は何もする手を出せない。なぜならこの国は、民が主役の民主国家であり、民有地とは、その主役のための自由な土地のこと。民有地をどうしていくのか、この国をどんな国にしていくのかは、日本政府でなく僕たち自身が考えることであり、それを税金で雇った人たちが担当し、選挙で選んだ人たちがチェック指導しているわけだ。しかし、こうした土地は、建売住宅やゴミ捨て場に姿を変えていき、外国人たちも狙っている。僕が「個人所有者のための土地活用支援」を行うのは、この悪循環を断ち切るためだ。

使われていない土地を活用したいという相談を受けると、初めにやることは「その土地がどういう状態でどんな使い方ができるのか」という土地の現状を確認することだ。ところが、「相続したものの、まだ現地を見たことがない」という人に資料を要求すると、「名寄せ」と呼ばれる一覧表を持ち出して「手持ちの資料はこれだけなんです」という。そこに書いてあるのは、土地の「地名地番(所在地)、面積、地目(用途)」だけで、これは土地の登記簿に記載されている内容の概要だ。今、多くの土地が「財産=登記できる不動産」として相続され、その内容も所在すらも忘れられつつある。そして、次の相続の時は、このリストがそのまま次世代に継承され、そのうちの一部が相続税として「適当に」国に取られていく。きっと数世代の後には、こうした土地はすべて手放すことになるだろう。僕はこれを「資産」と呼ぶ。

そこで次に、名寄せを元に現地を訪れ、土地の現状の周辺の様子を確認する。宅地や農地は比較的簡単に特定できるが、山林などは困難を極める。公図と呼ばれる登記の基となる地図は、税逃れのために小さくゆがみ、方位や縮尺もでたらめだ。道路や川に接していればまだしも、そうでなければ当事者に確認するしか術はない。おそらく民有山林のかなりの部分が既に所在不明なのではないかと思われる。一方、宅地などきちんとした土地だからと言って楽観できない。土地には様々は付帯設備やインフラが整備されているが、それらをトータルに把握している所有者はめったにいない。土地や建物を、利活用しようとすると、多くの図面や契約関係を整理し、それらを永久に運営する仕組みを作らなければならないはずなのに、現状誰もそれをやろうとしないのは、たとえほんの一部でも、世界の所有者だという自覚がないからだ。

松村さんの話はいつも大げさだ…と思われるかもしれないが、目指すべきことはこういうことだ。笑恵館では、すべての空間をリスト化し、その開放レベルを分類し、全体の活用度を計測している。土地は永遠に消えることのない不動の財産という意味で「不動産」という称号が与えられているが、資源としてみれば、永遠に利用し続けることのできる無限の資源という意味で「無限源」とでも言いたいところだ。所有者の皆さんには、目先の活用で一喜一憂せず、100年、500年、10000年後を見据えた夢を描いたその上で、広くチャレンジャーたちを募り、小さくても新しい世界を作る取り組みに、ご招待したいと僕は思う。