地域と故郷

一昨年の年末、建築家のIさんと上海を訪ねたのだが、その時はまだ買物は現金やカードで普通に出来た。ところが昨年の夏には、QRコード決済サービスが爆発的に普及し、すっかりキャッシュレスの環境が整ってしまった。中国のインターネットがGoogleやFacebookなどを排除したり、上海最大の本屋に中国語の本しか置いていないのを見て、完全に「中国語ワールド」的鎖国状態を作り上げている一方で、変化のスピードも猛烈だ。そんな全英語圏より巨大な13億人のマーケットで繰り広げられる中国人の若者たちの起業競争は、まさにし烈を極めている。地方からやってきた若者がネット販売で成功すれば、一気に大金持ちになれるのが今の中国だ。だが、実際に成功を持続できるのはごく一部にすぎず、多くの若者たちは途中で資金が底をつき、夢破れて撤収する。そんな若者を取材したテレビ番組を見ているうちに、彼らはみな「ひとまず国に帰ります」と語るのが気になった。

彼らの言う「国」とは、一体何だろう。それはどうやら田舎の貧しい村のようだ。そこで彼らは生まれ育ったのだろうし、農業などの家業を手伝いながら、ある程度の教育を受けたのだろう。やがて若者たちは、田舎にも普及してきたネットの情報やサービスに触れることになる。国内マーケット向けの中国語で判りやすい情報が届けば、買い手側から売り手側へのチャレンジをしたくなるのは当然だ。まずは仲間たちと小遣いを出し合って、小さな通販にチャレンジする。そして利益が出れば、さらに大きな仕入れに挑みたくなり、地方都市の市場に出かけて行き、同業者たちと競い合いながら次第に成長していく。だが残念ながら、彼らの大部分は失敗する。失敗するまで続けてしまうのがビジネスとギャンブルの共通点だ。成功し、財を成した人が故郷に錦を飾ると言われるが、失敗した人もまた故郷に帰るのなら、故郷は素晴らしいと僕は思う。

ご存知の通り、僕は1999年に倒産を経験しすべての財産を失った。僕の出身地は東京で、そこには大勢の友がいたが、倒産で迷惑をかけてしまった人も大勢いる。だからその時の僕は、帰れるところが妻と二人の息子のいる家庭しかないと感じていた。そんな経験をしたので、全てを失ったら「国に帰る」と言う中国人の若者が、正直言ってうらやましかった。故郷を辞書で引くと「その人に、古くからゆかりの深い所。生まれ(育っ)た土地や以前に住み、またはなじんでいた場所。」とあるが、僕は少し違う解釈を思いついた。それは「そこから出発し、いつでも戻れる場所」のこと。その人にゆかりなど無くても、生まれた場所でなくても、馴染みが無くてもいいのではないかと、僕は思う。故郷が大切なのは、ゆかりや馴染みでなく、出発や到着地となる「拠点」として必要だからではないだろうか。

だとすると、故郷は1か所とは限らない。僕の場合は「家庭」を拠点と考えるのでその場所は変化する。家庭が複数ある人は、拠点が複数になるだろうし、景色や自然、文化や産業を拠点と思えば、その場所や地域が故郷となる。僕が運営する笑恵館は、誰もが自分の家と思える「みんなの家」を目指しているが、それは結局「実家のような故郷と思って欲しい」という意味だ。故郷を共有する人を家族と呼べば、家庭が故郷となるのは当然だ。だとすれば、僕はなぜ「国に帰る」という言葉に驚いたのか。それは明らかに、僕たちが今「国」を失いつつあるからだ。多くの人が国を捨て都会に出て、成功を掴んだまま都会に居続け、国に持ち帰ろうとしないのが今の日本だ。人々が失敗を恐れ、チャレンジしないのは、帰る先がないからだと僕には思える。

今地域社会が衰退し、都会だけが発展を続けている。地域社会を旅立った人がそこに戻らずにさまよい続けるために、古い家が捨てられ新しい家が増え続けるおかしな現象が空き家問題と言えるだろう。故郷の暮らしは貧しくて辛いかもしれないが、いつでも迎え入れ、助けてくれる自分の故郷だ。都会の成功や快楽を楽しみたいとは僕も思うが、できるだけそれを持ち帰り、故郷を少しでも良くすることが大切だ。「故郷があるからチャレンジできる」というのが、今の中国の強さだとしたら、今やるべきことは「故郷づくり」に他ならない。だが、ここでいう故郷とは、過去や現状を引きずるのでなく、未来を描いて作るもの。その未来の実現を目指すチャレンジを促し、成功者が失敗者を救うコミュニティこそが、血縁にこだわらない新しい家族だ。大企業や行政の描く将来ビジョンに便乗するのでなく、自分たち独自の未来を描く人たちが、その実現を永遠に目指す拠点をつくるために、空き地や空家を最大限に活用しよう。