主従と主客

主従関係とは支配関係のことで、主客関係とは取引関係のこと。

つまり会社で言えば、主従は社長と社員で、主客は社長と顧客の関係となる。

あえてこの上下関係をまとめると「社員<社長<顧客」となるのだが、これが日本社会に様々な勘違いをもたらしている。

例えば、「お客様は神さまです」という言葉はあくまで社長から見た顧客のことであり、社員と顧客の関係ではない。

大衆和牛酒場のコンロ家が、店内に
「お客様は神様ではありません。また、当店のスタッフはお客様の奴隷ではありません。」
という張り紙を掲示して話題になっているが(http://news.livedoor.com/article/detail/15086360/)、お店という空間では顧客と社員は対等だという考えは正しいと思う。

一方、10年ほど前から役人が来庁舎を「お客様」と呼ぶようになったように思うが、市民と役所の関係は主客関係というよりは、むしろ主従関係のはずだ。

したがって、敬語を使えば十分だし、あえて呼ぶなら「ご主人様」というべきだろう。

これは、役人だけでなく、政治家も同様だ。

大臣の臣は、臣下のことであり、王様である国民の家臣であることを意味している。

だが、今の日本で安倍総理大臣を家臣と思う人はどれだけいるだろう。

家臣でなければ上司か顧客になってしまうので、あと考えられるのは身分が同じ同僚だ。

だとすると、役人が市民をお客様と呼ぶ理由が見えてくる。

つまり、すでに国民は日本という会社の顧客になっている。

日本政府が巨大な会社だとすれば、様々な疑問が解決する。

国民に行政サービスを提供し、その対価として税金を徴収する。

基本的人権は保障するが、残りのサービスは先着順で、受益者負担分の料金を徴収する。

税金は所得税と法人税と消費税の国税に加え、地方税として家賃のような固定資産税が基本なので、国民の経済活動を活性化する必要があり、あくまで成長を前提とする上場企業のような経営だ。

したがって、成長が止まると経営が成り立たず、社員である公務員は解雇もリストラもできないので、借金がかさむ一方だ。

経営合理化のために自治体の合併を繰り返し、総務省では現状の1724から1000まで減らすことを目指している。

半分の自治体が消滅可能性都市と言われているが、減らそうとしているのはむしろ政府自身だ。

しかし、不採算部門を切り捨てて、採算部門だけでも残そうとするのは会社であって国じゃない。

国は儲けるためでなく、存続するためにあるはずだ。

経済が発展しなければ成り立たないこと自体、すでに国としては失格だ。

本当は国民全員が日本の主(あるじ)なので、安倍晋三氏もその一人ということになる。

主が臣下を兼任し、その上最高位に着いたのだから、自分を主と勘違いするのも無理はない。

だが、諸悪の根源であるこの公私混同を、誰も指摘できずに手をこまねいているのは、やはり国民に主の自覚がないからだ。

僕が主にこだわるのは、第2次世界大戦で300万人も国に殺されたのは、日本人が主ではなく天皇の支配下にある臣民だったためだからだ。

現在僕たちが死なずにいられるのは、僕たちが国の主権者であり、憲法で戦争を否定しているからだ。

さもなければ、国家は戦争で人を殺しても罪には問われない。

さらに言えば、僕たち主権者には、法律に逆らい破る権利もあり、そのために裁判所が存在する。

そもそも法律を作るのは僕ら自身の仕事であり、それを政治家に代行させているに過ぎない。

だからこそ、たとえ小さな国でも自分が主になるために「国づくり」を提案する。

国づくりとは、自分自身が主となって、自由自在に土地を使うことだが、そのためにはまず地主になる必要がある。

もしも土地を所有していれば、あとは地主の自覚を持てばいい。

そしてもし所有していなければ、国にしたい土地の所有者の部下となり、一緒に取り組めばいいはずだ。

考えてみれば、家族関係は決して主客関係ではないはずであり、国づくりの継承も主従関係で引き継ぐべきだろう。

日本の土地所有権は世界で最も強い権力で、現に中国人が土地を買い占めているということがそれをよく示している。

だが、中国人に土地を売った所有者は、部下と思って継承したのでなく、客と思って売却したに違いない。

所有者は儲かったかもしれないが、国はこうして滅びていく。

中国は顧客として大切だが、僕たちは中国の臣下ではなく自分自身の臣下になるべきだ。