開くと閉じる

僕の拠点にしている「笑恵館(しょうけいかん)」の特徴は、施設が社会に対して開かれていて、誰でも自由に入ることができることだ。

こんなことを言うと、あなたは意外に思うかも知れないが、現代日本における民間施設は基本的に閉じていて、誰もが気軽に入ることができるのは公共施設しかない。

昔は多くの家は戸締りもせず、戸境も塀で仕切られていなかったので、僕が子供の頃は公園や道路で遊ぶことはめったになく、もっぱら他人の家をすり抜けて野良猫のように遊んでいた。

そしてたくさん叱られたが、歓迎されることもたくさんあった。

もちろん、すべての施設が閉じているわけではなく、店舗など他人を招き入れることが目的の施設もたくさんある。

だが、その多くは入場料の支払いや、買い物などの用事があることが条件であり、自由に入ってそこで出会いや交流を楽しむための施設はめったにない。

笑恵館にもパン屋があり、初めて来る人のほとんどがパンを買うためにやってくる。

だが一度来てみると、この施設がパン屋でなく交流を目的とした施設であることに気付くだろう。

そしてここが、個人の住まいであることを知り、さらに驚くという訳だ。

一般の住宅や施設が普段閉じられているのは、所有権が排他的占有権であることをよく示している。

所有権を調べると「自由に使用、収益、処分できる権利」となっているが、結局それは他人から邪魔されないことであり、邪魔者を寄せ付けない権利となる。

これが講じて現代社会はプライバシーが保護され、セキュリティが厳重になっている。

そして、邪魔されない権利だけが独り歩きして、自由な使用や収益処分は行われず、空き家や放棄地が増えている。

だが、施設を閉じたままでは使用できるはずはなく、閉じられた施設を使用する人は、所有者からカギを借りて施設を開ける必要がある。

つまり、「所有することは閉じること」なら、「使用することは開くこと」というわけだ。

だが、笑恵館は収益よりも使用や交流を目的としているので施設を無料開放する。

入居者のいないアパートの居室や、レンタル利用者のいない部屋は、施錠して閉じるのでなく開放して提供する。

こうして開放された笑恵館をレンタルしたり入居して使用する人には、その部屋を閉じる権利が与えられる。

あらかじめ予約して部屋をリザーブしたり、アパート部屋に鍵をかけられるようになる入居者からいただく料金は、閉じる権利=所有権に対する料金だ。

所有者として使用するからには、何でも自由にできるが、同時に所有者としての責任が生じる。

所有権で使用するとは「自分のものとして使う」ことであり、そこに自己責任が伴うのは当然のことだろう。

でも、いま日本社会に必要なのは自己責任でチャレンジすることだと僕は思う。

前例や実績にこだわるのは、責任を回避するためであり、そこに確信は存在しない。

僕が地主や所有権にこだわるのは、まさに前例や実績を生み出すためであり、それには自己責任の自由が欠かせない。

所有権を与えられ、それを閉じて独占する人には、開くことによって所有権を与えることができることを知って欲しい。

僕はこれを「国づくり」と定義し、地主の役割として確立したいと考えている。

閉じた土地を条件付きで開けられるようにする従来の使用権賃貸に対し、開いた土地を自己責任で閉じられるようにする所有権賃貸を推進したい。

そして「地主業」というビジネスに構築したい。