先日初めて「地主業セミナー」を行った。

「相続しない土地継承」という副題は、これが単なる節税法ではなく、そもそも「相続しない」という選択肢があることを知ってもらうため。

でも、多くの人は「相続」に疑問を感じているわけではなく、相続の争いや負担の方に関心があるようだ。

僕の世代は61歳なので、自分の財産を残すより親の財産を受け取る方が身近な問題だ。

だから相続とは、遺産をどう分けて、相続税をどうやって払うかという問題だ。

だが僕のセミナーでは、そんな話は一切せずに、「そもそも財産を相続するか継承するかどちらにしますか?」という質問から始まる。

相続が「どう分けて、幾らもらえるか」なのに対し、継承は「何をどうやって引き継ぐか」ということだ。

相続で一番大切なのは相続人の権利だが、継承で一番大切なのは、継承する物事の存続だ。

相続の権利は納税の義務を伴うが、継承による存続に税金などかけようが無い。

これは、株式会社の株主が持ち株の相続に課税されるが、会社の経営権を引き継いでも相続など発生しないのと同じこと。

伝統芸能や技術はもちろんのこと、清水寺や金閣寺だって、継承するから存続する。

むしろ、人が暮らす普通の住宅や、オフィスやマンションの存続の方が、私たちが生きていく社会にとって不可欠かも知れない。

だが、これらを個人の財産にすることが、死後に残りを清算する「相続」という手続きを生み出した。

Wikiによれば、日本では1886年に華族世襲財産法により華族世襲財産の家督相続の規定がおかれ、1896年制定の民法は、華族以外の家にも家督相続制度を規定した。

その後、1905年の相続税法により、家督相続者に対する相続税の減額規定が設置され、家制度(家父長制)による富の集中が強化された。

この規定は次第に拡大され、1942年改正時には、普通遺産相続は家督相続の場合に比べ、税額が2.5倍以上にもなりうる状態が生じた。

もちろん世界の一般的な相続税の目的はこれとは異なり、国の人口全体に資する所得再分配を目的として置かれている制度である。

だが日本では、明らかに社会の基本構造としての家制度を存続するために、家督(家の財産)の継承が最優先された。

だが戦後、天皇制の廃止と民主化が大きな変化を産むことになる。

GHQが主導する民主化により、相続税法は法定相続人への分配方式となり、税率は所得税と同じ高さとなった。

(最高税率…相続税:55%(6億以上)、所得税:45%(4千万以上)+道府県民税4%+市町村民税6%)

だが結局、家督を分解することは地域社会の崩壊をもたらしたと思える。

そして、天皇制の廃止は国民主権を決定づけ、財産権の不可侵が憲法に記された。

土地所有者は、土地を使って何でもできる自由な支配権を手に入れたが、それと同時に何もせずに放置してもどこの国に売却しても責めを負うことも無くなった。

僕の言う継承とは、過去をではなく未来への継承だ。

自分の財産の死後の未来を、国と血縁者たちに委ねる相続か、自分で定めた道筋を引き継ぐ人々に託す継承か。

相続を望む個人の財産には、僕は全く興味ない。

だが、未来に託す継承なら、是非とも手伝わせてほしい。

それは託す側の願いでも、託される側の願いでも、どちらでも構わない。

継承とは、託されて終わるのではなく、次に託すことを託されることだから。