自分自身がまちになる

自分の土地をまちづくりに役立てたい。

自分の土地をまちの魅力を担う施設として運営し続けて欲しい。

土地の所有者からそんな相談を受け、僕は引き受けた。

それを実現するためには、所有者と共にその実現に取り組み、所有者が死んだ後もそれを引き継いでやり続ける仲間が必要だ。

そこで所有者の夢に取り組む仲間たちと共に法人を作り、所有者が「すべての財産をその法人に遺贈(いぞう)する」という遺言書を書くことで、所有者の死後はその法人が土地の所有権を引き継ぐことにした。

この方法は、所有者に相続人になる親族がいなければ簡単だが、相続人がいる場合はそう単純にはいかない。

たとえ所有者がすべての財産を法人に遺贈したくても、相続人には「遺留分(いりゅうぶん)」の権利があるからだ。

すべての相続人がこの遺留分の権利を主張せずに協力してくれなければ、法人への遺贈は実現しない。

つまり、すべての相続人に財産を相続しないことを告げ、理解と協力を得る必要がある。

ここで一番大事なことは、所有者や相続人でなく僕自身の気持ちだ。

提案を受ける人にとってまず必要なことは、提案者がどうしたいのか、どうなることを望んでいるかだと思う。

だから僕は「相続人には遺留分を諦めてもらうだけでなく、法人に参加して所有者の願いの実現に協力して欲しい」と、自分の願いをはっきり言う。

つまり、僕の願いは「所有者の願いを叶えること」であり、それは所有者を代弁しているに過ぎないことだ。

だから、これに対して異を唱える相続人は、所有者の願いより自分の取り分が大切ということになる。

ここから先の議論には、僕は関わるつもりはない。

親が死んだ後のことは、親子でじっくり話して欲しい。

所詮相続争いとは、親の生前にこういう議論をしないからだと僕は思う。

もちろんその原因は、所有者の側にある。

自分の財産を使って何を成し遂げたいのか、ほとんどの人が自分の夢をきちんと描いていない。

財産は、何かを実現するための資源のはずなのに、実現したい夢が無ければただのゴミになるどころか、争いの種になるだけだ。

その議論を促すために、僕はこの遺贈に条件を付ける。

すべての相続人の同意が無ければ、法人はこの遺贈を放棄する。

夢を叶えるということは、損得や善悪の問題ではない。

だから決して多数決でなく、全員一致でなければ意味がない。

先日開催した地主の学校②で、土地の所有権移転登記に関連して、承継について次のように解説した。

「所有権移転をもたらす承継には、一般承継と特定承継の2種類がある。一般承継とは、前所有者の有する権利・義務の一切を承継することで、自然人については相続が、法人については合併があてはまる。特定承継とは、前所有者の有する権利・義務のうち一定部分を承継することで、売買が典型例である。」

ここで言う「相続と売買」の比較が面白い。

相続はすべてを引き継ぐことに対し、売買は一部を引き継ぐこと。

つまり、売買は都合の良い部分だけを引き継いで、それ以外の手切れ金としてお金を払うわけだ。

所有者の願いをかなえるためには、引き継ぐ側の都合でなく、まずはすべてを引き継ぐ必要がある。

だからこそ、売買でなく相続に準じた「遺贈」という手段を僕は選んだ。

今日は突然、遺贈や遺言書の話をお聞かせして、びっくりされたかも。

実は来月、ある土地所有者の親族会議で「遺言書説明会」を開催することになったので、今の僕は「遺言書づくり」の真っ最中だ。

という訳で、「地主の学校」と「土地遺贈スキームの構築」が同時進行中で、話が錯綜することを許して欲しい。

でも、これらの議論は、すべてが未来につながっている。

「まちづくり」や、「むらの魅力づくり」の行き着く先は、自分たちの土地や活動が「まちやむらになること」だ。

そして、ここで言う「まちやむら」とは「地域」のこと。

次回、地主の学校③は、「地主の地は、地域の地」というテーマで開催するので、続きを聞きたい人は来て欲しい。

(日時:2019年8月31日(土) 10-12時、場所:笑恵館 東京都世田谷区砧6-27-19)