ベーシックライフ

歴史はあたかも、地主を滅ぼそうとしていたように思えたのだが、それは違っていたようだ。土地利用の推進は政府が担っているように思われているが、それはインフラや資源となる公有地だけであり、暮らしや経済を担う民有地からは固定資産税や相続税を取るだけだ。補助金だらけの福祉やサポートが充実するばかりで、国民の自立性や活力は失われ、社会や会社への依存度は増すばかり。1000年以上続いていた封建社会を終わらせたものの、次の行先がまだ見えない。明治維新が封建制度を打倒したのは、民主化を進めるためでなく外敵から日本を守るためだったことが影響しているかもしれない。そして今、世界でも類を見ない規模で空き家問題が進行しているが、それは「後継者不足」という病であり、人類の存続を支えてきた「継承」という仕組みを封建時代の産物と勘違いして放棄してしまっているかのように、僕には見える。

地主の学校の執筆が進むにつれ、いよいよこの本の結論を書く時が近づいてきた。それは、新しい時代にふさわしい新しい地主は、何を目指すべきなのかということだ。僕は迷わず、この「継承」の再生を目指したいが、問題は「何を継承するのか」ということだ。ご存知と思うが、僕は1999年に建設会社を倒産させ、時効になったとはいえ今でも30億の負債を背負う失敗者だ。その僕が、こうして元気に暮らせることに、何よりも感謝の気持ちを持っている。どんなに失敗してもどんなに困っても、いつでも帰る場所がありそこで何とか生きられるなら、僕たちはやがて元気を取り戻すことができる。僕が、未来に継承したいのは、そういう場所のこと。具体的には、家業や実家、故郷などをイメージして欲しい。もしかすると、これらの場所を守るために人々を縛り付けていたのが封建社会だったのかもしれない。だが、僕が目指したいのは、これらの場所を持つことで、安心して世界に飛び出し、チャレンジできるようになることだ。

僕は今、笑恵館をはじめとする各所で、土地や施設そして地域社会を解放することに取り組んでいる。それはなぜかと考えると「そこを自分の家と思ってくれる人と出会うため」だ。そして、それらの人を受入れて、家族のように交流し、そこを実家や故郷にして欲しいから、あるいは一緒に働いて、それを家業と思って欲しいから。そうすれば、その人たちはたとえそこを出て行っても、疲れた時や、困ったとき、そして子どもを育てたり、年老いた時には帰ってくると僕は思う。封建時代と異なり現代は、一生を同じ場所で暮らすような時代じゃない。誰もが好きな場所に行き、好きなことをすればいい。だが、そうして得られたことを誰かに引き継ぎたいと願ったり、そこで儲けたお金で何かを作りたいと思った時、それを持ち帰るのが実家や家業そして故郷だと思う。そこで子供を育て、そこで老後を過ごすことで、そこは次第に素晴らしいまちになるだろうが、何より大切なことはそこが「自分のまち」となることだ。故郷を「懐かしい過去の場所」でなく、「未来に備えて育てる場所」に変革したい。

そこで僕は「ベーシックライフ」という言葉を思いついた。これは「ベーシックインカム(最低限所得保障)」という言葉に対抗する概念で、「政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給する」のでなく、「僕たち市民が家族に対し最低限の暮らしを提供する」ことを言う。まず、土地から得られる不動産収入を財源に雇用を生み出す「ベーシックビジネス」を立ち上げ、この従事者、参加者、賛同者を「ベーシックファミリー」と位置づけ、その土地を「ベーシックランド」と名付ける(以下、ベーシックはB:と略す)。そして、「B:ランド」の資源と「B:ビジネス」の収益を財源に、「B:ファミリー」に対して提供する最低限の生活を「B:ライフ」と位置付ける。B:ファミリーは血縁者に限定せず、B:ランドを実家や故郷と考える人たちを迎え入れるが、B:ランドやB:ビジネスに拘束せず、自由に活躍して欲しい。そして、B:ランドを実家と思って帰って来た時は、家族として食事や寝場所を提供するし、子育てや介護、看護などの協力をする。これがベーシックライフのイメージだ。

もちろん誰もが自分の居場所や住まいをB:ホームにすればいい。だが、考えてみるとそれは至難の業だ。まず、子育てや介護など小さな家族や共稼ぎでは大変だ。その上子供たちは進学・就職して実家を去り、新たな家庭を築いて帰ってこないし、それを見越した親たちは子供の負担にならないよう無理な同居は望まない。したがって、持続可能な家族になるためには、B:ファミリーのように複数家族が集まる必要がある。さらに、家族が協力し合うには、近隣関係であることが望ましい。だから僕は、いきなりB:ファミリーを募るのでなく、ゆるやかな交流から始めているのであって、決して茶飲み話で楽しむために交流しているわけではない。困った人や寂しい人を手助けしたいのは、元気になって活躍して欲しいから。そしてできれば成功し、故郷にも貢献してもらいたいから。

この夢なら、誰もが挑むことができるが、特に大切なのが「土地の所有者」だ。仕事・家族・地域をつなぐのはまさに土地だから。土地は地面というよりは空間そのものであり、現実世界そのものだ。だから僕らは家族になって所有権を共有し、みんなが世界の所有者になるべきだと思う。そして、すべての生き物と同じように、誰もが生きていける世界にしたい。生きるために税金を払うような情けない社会でなく、自分たちの力で生きて行けるようになりたいと思う。